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先生が『古事記』を題材にした『ナムジ』をはじめとする、一連の作品を執筆するようになったきっかけは、どんなことでしょうか? |
安彦 |
何がきっかけだったかはわからないですけど、25、6年前、『ナムジ』を描くちょっと前に、初めて奈良に来たんです。そのとき、友人に飛鳥のあたりを案内してもらって、とても濃い場所だなと思ったんですよね。 |
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「濃い場所」ですか? |
安彦 |
僕は北海道の田舎の出ですから、奈良には山や川やいたるところに伝承があるのが驚きで。「明日、遠足だよ」と言うお子さんに「どこ、行くの?」と聞いたら「山の辺の道」と。ああ、僕らが学校で習うようなことを日常生活で体験していくってすごい。奈良の人、おそるべしって感じだったんですね。それから、ちょうどアニメの仕事と入れ替わるように、古代史の漫画を描いてみようかなって気になっていったんです。直接のきっかけじゃないかもしれないけど、奈良に初めて来たときのことは今でも思いだします。
その後、偶然見つけた原田常治さんの本が今でも作品のヒントになっています。それまでに歴史家の方が書かれた本も読みましたが、神社を巡って古代史を語るという原田さんの方法が、それまでにない視点で、すごく新しいと思ったんですね。
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原田さんの本のどこに、心をひかれたんでしょうか? |
安彦 |
おおらかなんですよね。いわゆる教養じゃなくて、村とか町の長老の方が昔話を語ってくれるような風情があって。学者の方は文献を引いて、このように読めるとか、あるいは出土したものがどうだとか、内容が固くてなかなか頭に入ってこないけども、原田さんの書き方は「いろいろ調べたらこうだったよ」と非常におおらか。「いろいろ調べた」って、何を調べたんだろうって(笑)。だから、いいかげんな本だと、学者さんは相手にしないんですが。 |
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原田さん以外にも歴史の本を読まれていたということですが、先生が古代に関心を持たれたのは、どのような経緯からですか? |
安彦
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日本の年表の初めのほうって「卑弥呼が…」なんてぽつんと出てくるぐらいで空白ばかりですよね。年々、考古学上の新しい発見があってもいまだに空白が埋まらない。邪馬台国にしても畿内、九州、どっちでもいいと思うんです。問題なのは、どうやって日本国ができたのか、大和朝廷はどういう過程で日本の中心になったのかということなんですよね。
そうして古代史を権力者の累代で語ることへの疑問がわいてきたときに、それに代わる何があるんだろうと。古代史にまつわる痕跡が古い神社なんかに色濃く残っているのなら、それは大事なことなんじゃないかと。そういうことを原田さんの本で教えられました。 |