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2012年は、『古事記』編纂1300年の年でした。今後、『古事記』は、どのように読まれていくのでしょうか。
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斎藤 |
そこは今、非常に関心のあるところです。『古事記』の世界が、どのように読まれてきたのかを突きつめていくと、日本人は『古事記』を通して何を考えてきたか、が分かってきます。本居宣長もそうですし、今取りかかっているのは、平田篤胤や、明治以降の「読み」の歴史です。
『古事記』を通じて、日本人は何を考えてきたか。その考えが、どう歴史的に変化してきたか。それが結局は『古事記』の読み替えであるし、神話を新しくつくっていくということでもある。それが、奈良を越えて、いろんな場所に読みつがれていく拠点ができるわけですね。そういうところも非常におもしろいなと思います。 |
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奈良県では「『古事記』編纂1300年」として、いろいろな取り組みをしていますが、たとえば100年後、古事記1400年祭があるとしたら…。 |
斎藤 |
実は、明治の終わりに「古事記1200年祭」というのが実際にあったんですよ。当時は西洋に倣ってきた日本の近代化が行き詰まってきた頃。もう一度日本を見直そう、ということで、太安万侶の子孫や、本居宣長の子孫も招いて、靖国神社で盛大なお祭りをやっています。今回の「1300年祭」でも、そういう「日本を見直そう」という向きはありますよね。
ただ、『古事記』の中に「日本」という言葉はありません。近代や現代が見る「日本」という枠組みとは違う世界、もっと自由で奔放な世界が、『古事記』にはあるわけです。それを現代の日本に枠づけていくのは、どうなのかな、と思います。
次の「1400年」を考えるにあたって、日本というものを、もっと自由な視点で見るきっかけが、『古事記』にはあると思うんですよ。外国ばかりに目を向けるということではない。『古事記』は、中国という当時の最先端の文化を意識しながら、最後には日本独自の世界を作っています。まさに「グローカル」なもの。この視点が、これからも必要なんじゃないですかね。 |
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記紀・万葉プロジェクトに、「こんなことをやったら、おもしろいのでは?」といったご提言があれば、ぜひ。 |
斎藤 |
『古事記』をとっかかりにして、どういうふうに広げていけるか、という視点でしょうね。たとえば先ほどの、『古事記』に日本の昔話の原型がある、という話ですが、奈良県の三輪山は、人間と異類のものが結婚する話、「異類婚姻譚」のメッカです。『古事記』にある、三輪山の大物主(おおものぬし)が通ってくる話が、昔話に変わっていって、中世、近世と、「鶴の恩返し」のような異類婚姻譚のさまざまなバリエーションができた。そんな広がりに、もっと目を向けていったほうがいいんじゃないでしょうか。 そう、『古事記』を起点として、奈良そのものの1300年間を考える、というのはどうでしょう?
たとえば、奈良に陰陽町(いんぎょまち)という、江戸時代に民間の陰陽師が集まっていた集落があります。これは直接は『古事記』と関係ないんですが、陰陽師の人たちが祈祷をする時には「祭文(さいもん)」という、古事記に出てくるような神話を読み上げるんです。これもたどっていくと、やっぱり『古事記』につながってくるんじゃないかな、と思います。 |
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なるほど、今までは「1300年前」ばかりに目がいっていましたが、「1300年間」を考える、ということですね。本日はありがとうございました。 |