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『古事記』は決して古くさいものではないんですね。
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上田 |
そうです。それから、『古事記』に関することで、僕が、子ども達にぜひ伝えたいと思うのは、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が結婚する時にお互いを誉め合うということ。
「人誉め」は生活の知恵だと思いますよ。「国誉め」だってそうです。
それから、手水(てみず)というのも、『古事記』に出てきますよね。
伊邪那岐命(いざなきのみこと)が黄泉の国から帰ってきて、禊ぎ(みそぎ)をするところに書いてありますが、これはすごい知恵です。
柄杓の水の4分の1ずつで両方の手を洗って、4分の1で口をすすいで、残りで柄を洗う。
この話を子ども達にしたらどんなに喜ぶか。
神社にお参りしたとき、この話をすると親も先生も友達もびっくりする。自慢になりますよ。
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『古事記』と今、『古事記』とふだんの暮らしがつながると、ぐっと身近になります。
ほかに、稗田阿礼さんの出身地ならではのエピソードがあれば教えてください。 |
上田 |
市内には、今も阿礼を祀る賣太神社(めたじんじゃ)があります。
その神社で阿礼祭(あれいさい)が始まったのは、昭和5年8月16日のことです。
稗田阿礼をお話の神様としてとらえ、当時活躍していた童話作家がここに集まったんです。
そのときの中心人物が、日本のアンデルセンと呼ばれた大分出身の久留島武彦(くるしま たけひこ)さん。
彼は日本のボーイスカウト運動の創始者でもあるんですが…。
ずっと口演童話、つまり口で演ずる童話を広める運動をしていました。
8月16日というとお盆ですよね。家にいる子ども達を集め、童話の読み聞かせを始めたわけです。
久留島さんのほかにも巌谷小波(いわや さざなみ)など著名な人達も参加したそうです。
少し前に、久留島さんの語りを子どものころに聞いたというおじいさんに聞いたのですが、すばらしい語りで、みんな引き込まれてしまったそうです。
そういう祭が、昭和5年からずっと続いて80余年。
昭和20年の8月16日、つまり終戦の翌日にも中止しないでちゃんとやっています。 |
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阿礼さんにちなんだ、感動的な現代史ですね。 |
上田 |
今回、「ふるさと語り部エッセイ」も募集していますが、今の時代、語り部がいないですね。家の中にも、地域にも。
語り部がいないということは、長老がいないということなんです。
第二次大戦後、日本はそういうものを全部否定して来ましたよね。
あったかみとか、地域のコミュニティーとか、面倒くさいものは全部やめてきたわけで、たくさんの祭も消えてしまったでしょう。
『古事記』を見直すとか、県の記紀・万葉プロジェクトというのは、そういうことを改めて考え直していく運動ではないかなと思います。
結果として、多くの方が奈良に、大和郡山に、来てくれて、それを、地域の人達が「よく来てくれはりました」とお迎えし、「大和郡山では稗田阿礼が自慢なんですよ」という話が出来たら、すごく深味のある観光になっていくんじゃないでしょうか。
市民のみなさんも一丸となって、古事記1300年紀を盛り上げていきたいと思っています。 |
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みんなで語り継ごう!というわけですね。 |
上田 |
そうです。それから、『古事記』に関することで、僕が、大和郡山市ゆかりの水木要太郎(みずき ようたろう)氏の号を取り、「水木十五堂(じゅうごどう)賞」も創設します。
水木氏は明治~昭和初期の人で、大和郡山市に住んだ人です。
教育者であると同時に、奈良県の郷土史研究の先駆けで、大福帳300冊という貴重な記録で知られる「知の巨人」ですが、一般の方にはあまり知られていません。
こういう近代の人も、長い歴史の中の語り部の一人ということで、これも古事記1300年紀の流れの一環と考えています。 |
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現代宇宙学とのコラボや、「語り部」の系譜など、『古事記』の楽しみ方、とらえ方がぐっと広がった気がします。 |
上田 |
とにかく楽しくないとだめ。いつも「遊び心がないとあかん」と言うてるんです。
「楽しさ」「遊び心」がないと、広く、長く伝わっていかないですよ。 |
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これからも、遊び心のある取り組みを期待しています。どうもありがとうございました。 |