各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第7回 大和郡山市長 上田 清氏

遊び心あふれる取り組みで、「語り継ぐこと」の大切さを配信したい。


第7回 大和郡山市長 上田 清氏

稗田阿礼の出身地であるという誇りをもって欲しい

大和郡山市は『古事記』を誦習した稗田阿礼(ひえだのあれ)さんの出身地。
『古事記』編さん1300年事業では、先陣を切って取り組んでおられますね。
ぜひ熱い思いをお聞かせください。
上田
まずはこの機会に、市民の方に稗田阿礼の出身地であるという誇りをもって欲しいですね。
阿礼さんがおられてこその『古事記』だと思っていますから。
編さん1300年といいますが、『古事記』に収められている物語は、それよりももっともっと前のものです。
つまり、長い長い間語り継いできたということになる。
この「語り継いできた」点に注目したいと思っています。
また、(『古事記』編さんをスタートさせた)天武天皇の時代の日本と、2011年の東日本大震災以後の日本との共通点というのでしょうか。
国って何なんだろうとか、我々はいったいどこからきたのだろうということを考える、よい機会になると思うんです。
そういう思いで、大和郡山市では「人間ってすごいじゃないか。語り継ごうよ、語り部の里」というキャッチフレーズで、当市の「古事記1300年紀」事業をスタートしました。
キャッチフレーズの「人間ってすごいじゃないか。」という言葉から、『古事記』を語り継いできた「人間力」を見直そうというコンセプトが明確に伝わってきます。
2月4日のオープニングイベントも盛況だったそうですね。
上田 参加者の応募が多すぎまして…。
会場の(やまと郡山城ホールの)大ホールだけで収まらなくなり、急遽、小ホールも使って、会場の様子を映像で見ていただいたほどです。
このイベントでは『古事記』を学問的にとらえることはやめて、人間臭さや突拍子のなさなど、面白さを伝える機会にしたいと思ったんです。
そのほかの取り組みもぜひ教えてください。
上田 3月3日から、「当世語り部口座(とうせいかたりべこうざ)」という講座企画が始まりました。
年間10回開催しますが、平成24年だけなく、ずっとやっていこうと思っています。
この講座では、ちょっと工夫した切り口で、講師には、奈良文化財研究所の研究員・馬場基さん、
大和郡山市出身で「劇団カムカムミニキーナ」主宰の松村武さんとか幅広いジャンルの人に登場をお願いします。
松村さんには、「古事語り部座」という市民劇団も脚本・演出も担当してもらってます。
平成24年には、『古事記』の宇宙観をテーマにシンポジウムを予定しています。
『古事記』に書かれている世界観や宇宙観は、現代の我々が絶対勝てないものだと思うんです。
S・ホーキング博士の本によれば、伊邪那岐命(いざなきのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)が登場するまでの時間は150億年。
つまり、当時の人々はそういう「時間」を知っていて、イメージすることが出来たんです。
我々は、人からもらった知識だけで偉そうに宇宙のことを語っているけれど、古代の人々は、情報も技術もない中で、何百年何千年と空を見つめていたわけです。
例えば、日食や月食についても、当時の人々は理屈はわからなかったかもしれないが、周期は知っていたと言われています。
ね、ホントに人間ってすごいじゃないか、と思いませんか。
京都大学の学長が大和郡山の出身の松本紘(まつもと ひろし)さんで、専門が宇宙です。
宇宙発電所の発案者ですから。
松本先生にこの話を持っていったら、即座に賛同して下さった。
現代宇宙学と『古事記』。かけ離れたものをコラボした企画を実現したいと思っています。

古代から現代までつながっている『古事記』

『古事記』は決して古くさいものではないんですね。
上田 そうです。それから、『古事記』に関することで、僕が、子ども達にぜひ伝えたいと思うのは、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が結婚する時にお互いを誉め合うということ。
「人誉め」は生活の知恵だと思いますよ。「国誉め」だってそうです。
それから、手水(てみず)というのも、『古事記』に出てきますよね。
伊邪那岐命(いざなきのみこと)が黄泉の国から帰ってきて、禊ぎ(みそぎ)をするところに書いてありますが、これはすごい知恵です。
柄杓の水の4分の1ずつで両方の手を洗って、4分の1で口をすすいで、残りで柄を洗う。
この話を子ども達にしたらどんなに喜ぶか。
神社にお参りしたとき、この話をすると親も先生も友達もびっくりする。自慢になりますよ。
『古事記』と今、『古事記』とふだんの暮らしがつながると、ぐっと身近になります。
ほかに、稗田阿礼さんの出身地ならではのエピソードがあれば教えてください。
上田 市内には、今も阿礼を祀る賣太神社(めたじんじゃ)があります。
その神社で阿礼祭(あれいさい)が始まったのは、昭和5年8月16日のことです。
稗田阿礼をお話の神様としてとらえ、当時活躍していた童話作家がここに集まったんです。
そのときの中心人物が、日本のアンデルセンと呼ばれた大分出身の久留島武彦(くるしま たけひこ)さん。
彼は日本のボーイスカウト運動の創始者でもあるんですが…。
ずっと口演童話、つまり口で演ずる童話を広める運動をしていました。
8月16日というとお盆ですよね。家にいる子ども達を集め、童話の読み聞かせを始めたわけです。
久留島さんのほかにも巌谷小波(いわや さざなみ)など著名な人達も参加したそうです。
少し前に、久留島さんの語りを子どものころに聞いたというおじいさんに聞いたのですが、すばらしい語りで、みんな引き込まれてしまったそうです。
そういう祭が、昭和5年からずっと続いて80余年。
昭和20年の8月16日、つまり終戦の翌日にも中止しないでちゃんとやっています。
阿礼さんにちなんだ、感動的な現代史ですね。
上田 今回、「ふるさと語り部エッセイ」も募集していますが、今の時代、語り部がいないですね。家の中にも、地域にも。
語り部がいないということは、長老がいないということなんです。
第二次大戦後、日本はそういうものを全部否定して来ましたよね。
あったかみとか、地域のコミュニティーとか、面倒くさいものは全部やめてきたわけで、たくさんの祭も消えてしまったでしょう。
『古事記』を見直すとか、県の記紀・万葉プロジェクトというのは、そういうことを改めて考え直していく運動ではないかなと思います。
結果として、多くの方が奈良に、大和郡山に、来てくれて、それを、地域の人達が「よく来てくれはりました」とお迎えし、「大和郡山では稗田阿礼が自慢なんですよ」という話が出来たら、すごく深味のある観光になっていくんじゃないでしょうか。
市民のみなさんも一丸となって、古事記1300年紀を盛り上げていきたいと思っています。
みんなで語り継ごう!というわけですね。
上田 そうです。それから、『古事記』に関することで、僕が、大和郡山市ゆかりの水木要太郎(みずき ようたろう)氏の号を取り、「水木十五堂(じゅうごどう)賞」も創設します。
水木氏は明治~昭和初期の人で、大和郡山市に住んだ人です。
教育者であると同時に、奈良県の郷土史研究の先駆けで、大福帳300冊という貴重な記録で知られる「知の巨人」ですが、一般の方にはあまり知られていません。
こういう近代の人も、長い歴史の中の語り部の一人ということで、これも古事記1300年紀の流れの一環と考えています。
現代宇宙学とのコラボや、「語り部」の系譜など、『古事記』の楽しみ方、とらえ方がぐっと広がった気がします。
上田 とにかく楽しくないとだめ。いつも「遊び心がないとあかん」と言うてるんです。
「楽しさ」「遊び心」がないと、広く、長く伝わっていかないですよ。
これからも、遊び心のある取り組みを期待しています。どうもありがとうございました。
うえだ・きよし
プロフィール
1951年 奈良市生まれ 京都大学文学部卒業。
奈良県立郡山高等学校教諭などを経て2001年より、現職。近畿市長会会長。