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若い方やお子さんに、『記紀・万葉集』のような、古い書物を読む喜びのようなものをアドバイスいただけますか。
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絹谷
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何事をするにも、楽しかったら時間を忘れるんですよね。
日本人は一生懸命やるっていうのが得意なんですけども、それを少しおもしろがって読むとか、おもしろがって歌うとか、そうするといいんじゃないでしょうか。
例えば、旅とのコラボとかね。
東日本大震災の後に、日本芸術院の「子ども 夢・アート・アカデミー」という社会貢献事業で、福島や石巻など全国の小中学校を37校回らせていただいたんです。
長崎県の五島列島にも行きましたが、三井楽(みついらく)というところがあって、ここから遣隋使や遣唐使が東シナ海の大海原へ出て行ったんだなぁ」とか想像すると、とても楽しいんですよね。
自分の旅と古代の人たちが歩んだ道と、記紀・万葉の世界が重なってきて、旅が何倍にもおもしろくなるんです。
とにかくおもしろがってやれば、私の秋の展覧会の新作も1作ぐらいはいいのができると思うんですけどね…(笑)。
皆さんも、絵でも映像でも歌でもよいので、自分が好きなものと「記紀・万葉集」と組み合わせて楽しんでみてはどうでしょうか。
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その方法だと、趣味の世界も深まり、「記紀・万葉集」の敷居も低くなる。
一石二鳥ですね。 |
絹谷 |
二鳥といわず、一石三鳥も四鳥も楽しんでいただければいいかなと思います。 |
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奈良の記紀・万葉ゆかりの地で、県外や海外の方に来ていただきたい場所はおありですか? |
絹谷 |
大台ケ原の神倭伊波礼毘古命(かみやまといわれびこのみこと・神武天皇)の像がある辺りとか、二上山の麓とか。
『万葉集』なら飛鳥ですね。
奈良県ではありませんが、蘇我・物部の八尾。
もともと堺も奈良の港ですから、記紀・万葉の時代の話をするときには、八尾も入れてもいいんじゃないかと思いますけどね。
天王寺や四天王寺、土蜘蛛の葛城の麓…、挙げればきりがありませんね。
何もないようなところでも想像力で楽しめます。
例えば、記紀・万葉の旅をコースにして、携帯電話で調べれば導いてくれるようなものがあればいいですね。 |
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先生は渡航経験も豊富でいらっしゃいます。
新鮮な感覚でいろんな方が歴史と触れあえるような外国の施設があれば、ぜひ教えてください。 |
絹谷 |
いっぱいありますよ、ナポリの美術館もいいし、スペインの美術館もいいし…。
ロンドンの「ヴィクトリア&アルバート博物館」では、作品が仰々しいケースの中にあるのではなく、触れられるような距離で見ることができる。
レプリカを展示しているんですけどね。
それから、ノルウェーの首都・オスロから3kmほど北西にあるフログネル公園の中に、「ヴィーゲラン彫刻公園」というのがあります。
彫刻家のヴィーゲランがそこにアトリエを構えて、生涯その庭園を造っていたんですよ。
今でもヴィーゲランの作品ばかりが何百点も展示されていて、自由に見ることができるようになっている。
アメリカだと、亡くなった友人の、ドナルド・ジャッドという現代美術の作家が、テキサス州マーファにある陸軍基地だった砂漠の土地を買い取って、格納庫やなんかの廃屋に自分の作品をたくさん置いてるんですよ。
そんなスケールの大きい展示や、ロンドンの美術館のように無料で気軽に芸術と触れあえる施設が身近にあるといいですね。
あとは、奈良にぜひ「絹谷アフレスコ画美術館」があればいいなと思うんですけど(笑)。 |
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先生にとってふるさと奈良とは、どんな場所なのでしょうか。 |
絹谷 |
遠くに離れれば離れるほど奈良が恋しくなる。そんな大切な場所です。
故郷とは、自分自身を創ってくれた場所のことだと思います。
離れれば離れるほど故郷が近しくなるように、時間的にも、むしろ未来のほうへ行ったほうが伝統あるものを、より近く感じられるのではないでしょうか。
私は先ほども申し上げたように、歴史や古いものの中からヒントを見つけ、真の意味での「新しいもの」を創造しようと取り組んできました。
遠い過去の中にこそ、一番根本的で新鮮なものがあるはずです。 |
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「記紀・万葉集」をはじめとする古い書物を、現代の私たちがひも解く意味というのは、そういうことかもしれませんね。 |
絹谷 |
文学とか芸術だけの話ではなく、現代日本が直面している諸事情を解決するうえでも、古典から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。
奈良時代、光明皇后は、奈良から遠く離れた山形に、興福寺直轄の慈恩寺(じおんじ)という寺を造らせています。
東大寺創建に尽力した行基さんの進言だったともいわれています。
山形は、奈良と地形がよく似ていて、温暖で米がよくできる。
防衛的にみても、回りを山に守られていて地震や水害が少なく、奈良が堺という港を持っていたように、酒田という港もある。
当時の人たちの方が、現代人よりもむしろ距離的にも時間的にも大きな視点を持っていたのではないでしょうか。
古典を学ぶということは、文化芸術を学ぶだけでなく、そこにはあらゆる要素が含まれている。政治、経済、産業…。
地勢学、気学かもしれないし、あるいは感覚、五感、そういうものまで含まれているのかもしれません。 |
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失ってしまった感覚を教えてもらうような気持ちで、「記紀・万葉集」を読んでみたくなりました。どうもありがとうございました。 |