記紀・万葉講座

「竹と鵜飼~隼人物語~」

記紀・万葉リレートーク 第3回 大淀町

2012年11月17日(土) 13:30~
会場・大淀町文化会館 あらかしホール

講師・奈良県立橿原考古学研究所 所長 菅谷 文則(すがや・ふみのり)氏
演題・「竹と鵜飼~隼人物語~」

チラシにリンク


 

概況

平成24年11月17日に、大淀町文化会館 あらかしホールにて、第3回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
13時30分から開演し、大淀町長の挨拶の後、「竹と鵜飼~隼人物語~」と題して、奈良県立橿原考古学研究所所長菅谷 文則氏にお話しいただきました。
菅谷先生の大淀町にちなんだ興味深い古代のお話しに聴講者は引き込まれていました。


 挨拶をする大淀町長/大淀町のマスコットキャラクター「よどりちゃん」

 

講演の概要

「『古事記』は『万葉集』に比べ、学校教育にあまり取り上げられないが、現代語訳や『古事記』に登場する神様や神社を紹介した書籍も出版されているので、ぜひ『古事記』に親しんで欲しい。今日の会場である大淀町の町名の語源は『万葉集』にあり、この辺りは古墳時代から多くの人が住み発展していた。『古事記』の中で、吉野川で簗を張っている人に、「天神の御子みこはこれを見て、『お前は誰か?』こう尋ねたところ、『私は国神で名は贄持之子にえもつのこと申します』このように答えた。これは阿陀あだの鵜飼部の祖先である」という記述がある。神武天皇が大和に入り初めて見たのは、この吉野川の簗もしくは鵜飼とされており、場所は古代の交通の要衝でもあった、この大淀町のあたりとも考えられる。

ちなみにこれが鵜飼の存在が語られた一番古い記録であり、『古事記』以来、皇室と関係していたのは吉野川の鵜飼である。阿陀とは現在の大淀町から五條市の辺りであり、その鵜飼を行っていたのは隼人、つまり、日向・大隅・薩摩地域(現在の宮崎・鹿児島)の人たちである。鵜飼や隼人の重要な産業である竹細工の竹は、諸説あるが、個人的には中国から隼人の地である南九州経由で入ってきたと考えている。隼人は勇猛果敢だったので、一部が京都や吉野に連れてこられ、皇室の守衛となる一方で、南九州にあった竹材を移住地に移植し、竹細工の生産や鵜飼をしていたと思われる。その証拠に正倉院に花籠がたくさん残されている。

そう考えると神武天皇は九州(一般的に言われているのが日向国)から来たことになっているので、隼人の歴史と非常に合致してくる。つまり、隼人の物語が日本国家誕生に絡んでくるのではないか。また、『万葉集』の中にも阿陀の鵜飼や梁を詠った歌が複数あることを考えると、この大淀から五條にかけたこの地の人たちが、自分たちの輝かしい歴史を歌い上げ伝承してきたのではないかと考えている」。


 講演する菅谷 文則氏


【講師プロフィール】
菅谷 文則(すがや・ふみのり)/奈良県立橿原考古学研究所 所長
1942年奈良県宇陀市生まれ。奈良県文化財保存課・県立橿原考古学研究所・シルクロード学研究センターなどを歴任。その後、滋賀県立大学教授として、研究を進め中国や東アジアでの発掘調査を徹底して行う。
2009年より奈良県立橿原考古学研究所所長。同年、滋賀県立大学名誉教授。現在は橿原考古学研究所所長をつとめる一方、山岳修験道の先達として大峰山奥駆けも幾度となく経験している。

●関連情報
「各界の識者が語るわたしの記紀・万葉 第3回 菅谷 文則氏」