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令和5年度、世界をフィールドに活躍する写真家、石川直樹さんに「飛鳥・藤原」を撮り下ろしていただき、冊

子を作成しました。こちらはそのWEB版になります。

冊子やこちらのWEBページをご覧いただくとともに、実際に現地を巡りながら、「飛鳥・藤原」の土地

に残る国づくりに邁進した人々の気配を感じていただけたら、幸いです。

 

プロフィール
石川直樹(いしかわ なおき)

1977年、東京都に生まれる。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年「NEW DIMENSION」(赤々舎)、「POLAR」(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年「CORONA」(青土社)により土門拳賞。2020年「EVEREST」(CCCメディアハウス)、「まれびと」(小学館)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した「最後の冒険家」(集英社)ほか多数。最新刊に「Kangchenjunga」(POST-FAKE)、「Manaslu 2022 edition」(SLANT)など。作品は、東京都現代美術館、東京都写真美術館、横浜美術館、沖縄県立美術館等に収蔵されている。




「飛鳥・藤原」に刻まれた「日本」創成の歴史の履歴

奈良県世界遺産室室長 森井順之

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長年文化財保護に携わり、古代の交易路シルクロードの「莫高窟ばっこうくつ」など様々な文化財視察のため、世界を巡る機会を与えていただきました。そこであらためて「飛鳥・藤原」を振り返った時、ここはシルクロードの終着点であると確信しました。古代の強国、唐は現在のウズベキスタンあたりまでを統治し、巨大な勢力を持ちましたがそんな唐もまた、西域諸国からシルクロードを通じ、

自国にない多様な文化を吸収しながら栄華を極めていきました。そんな大陸文化の大交流が起きた古代、東のほとりに連なる小さな列島であった我が国が、地政学的観点から重要なポジションにあったこともわかってきています。だからこそ東アジア全土でおきた歴史の激流の渦に、海を隔ててもなお巻き込まれていくことになったと同時に、自流の文化をたおやかに築いてもいったのです。それが私たちが守り伝えている「飛鳥・藤原」です。
人智では古代の全容はわかりません。でも、一つだけ言えるのは古代から今この時まで歴史は繋がっているということ。石舞台古墳を例にあげれば、現在は巨石が剥き出しになった姿を私たちに見せていますが、かつては土で埋められた古墳だったはず。それが何らかの事情によって土がなくなり石が現れ、さらにその姿のまま残してくれた先人がいて、今に至るのです。江戸名所図会にはあらわになった巨石の景色が描かれていますから、江戸時代にはすでに土が無くなっていたのでしょう。私はこうした変遷を歴史の履歴だと考えます。そしてその履歴は土地の中に幾層にも重なり合っているのです。時代を切り取る限定的な見方を外せば、そのような歴史の履歴が織りなす“気配”を、悠久の時を超え感じていただけるはず。それは、人を謙虚な気持ちにもさせてくれますね。

奈良県で暮らしていると「ああ、ここで日本の文明が生まれたんだ」と実感させられます。飛ぶ鳥と書いてアスカと読ませることも然り、日々出会う“読めない地名”に古代大和の名残が感じられることもその一つ。私は週末ごとに旅をしながら、そんな読めない地名を見つけることが密かな楽しみとなっています。
古代から人々が暮らし、信仰を伝えてきた土地は数多あります。その中でここは「日本」という国が創成されていった場所ですから日本人であれば誰しも、ひときわ陰影深く、歴史の層を感じられるのではないでしょうか。きっと訪れる人の数だけ「飛鳥・藤原」の感じ方があると思いますので、二つと無い貴方だけの旅を楽しんでいただけたなら、嬉しいことです。

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さなぎが羽化し、美しい蝶が羽を広げたかのごとく時代が飛躍した「飛鳥・藤原」

奈良県世界遺産室 山田隆文

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現在の飛鳥は、山に囲まれた狭い盆地に、のどかな田園風景が広がっていますが、かつては政治の中枢機関など、人工物だけで埋め尽くされた空間だったのです。
その飛鳥から甘樫丘を越えた途端に大和三山に囲まれた平地が広がり、そこで宮仕えする人々も暮らし、巨大な国家寺院なども置かれた国内初の古代都城、藤原京が成立していきました。

それはまるで小さなさなぎが羽化し、蝶が美しく羽を広げたかの如く、時代が飛躍した瞬間のように私は感じています。訪れたら、まず甘樫丘に登って、その景観の変化を体感していただきたいですね。
人々の記憶から古代飛鳥は風化しても、宮都の遺跡は田んぼの下にずっと残り続けました。「詳しくはわからないけど大切な場所」だと代々口伝えてきた名も無き民たちによって、藤原宮の高御座たかみくらが置かれた土壇に神社が祀られ、手を合わせながら守り継いできたのです。そしてその土壇は昭和に入ってから発掘調査が行われたことで大極殿の遺跡として姿を現し、世に再びその存在を知らしめることとなりました。
さらに、大陸の影響を受けた数多の証拠と出会うことで、古代飛鳥が国際的であったことも感じていただけるでしょう。朝鮮半島の白村江で起きた大戦で大敗を喫し、その敗北は良くも悪くも人々の精神を大きく変えます。そして、海を隔てた島国がゆえに、大陸から渡る情報も限られたでしょうが、逆に濃縮もされたのでしょう。大陸文化を吸収し、我が国流に昇華させていくまでの変化は急速かつ劇的でした。隋や唐との国交が開かれてから国家の礎を築くまで、わずか100年だったのですから。

小学5年生の頃、父親に連れられ明日香村を訪れたのが私と古代との出会いでした。石舞台古墳の前の広場で柿の葉寿司を食べた思い出は未だ脳裏に残っています。その後、歴史少年となった私は考古学の道をただただ進み、藤原京や飛鳥京跡苑池の発掘から韓国での古代東アジア研究まで携わって数十年経ちますが、研究者としてまだ道半ばです。でも、「この足の下に何があるかわからない、けれども地中には古代史の舞台となった本物の遺跡が眠ってるんだ」。少年時代のあのワクワクした高揚感は今でも持ち続けています。
さて、世界遺産とは「この惑星で生きる人類にとって、未来に守り伝えるべき大切なものの代表」だと私は考えています。世界遺産リストへの記載を目指している「飛鳥・藤原」はそのパズルの1ピースだと信じて。

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渡来人との文化交流に感じた、希望

映画監督 広瀬奈々子

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はじめて訪れたのは2023年の夏でした。「明日香法」と言われる古都保存法で守られた明日香村は、まさに“日本の原風景”という言葉通りの美しい景色が残されていました。不思議な彫刻が施された巨石やまだ発掘されていない地中に眠るものを含めた数百もの古墳の存在など、静けさのなかに漂う古代の気配は特別なものでした。

小高い丘に登れば「飛鳥・藤原」の遺跡が見渡せます。その視界を遮るもののない澄んだ光景に心が洗われましたし、どこか懐かしくも感じられました。

飛鳥時代は、非常に多様性に満ちた世界が展開していたことを研究者によるヒアリングで知りました。私が注目したのは大陸から渡ってきた様々な渡来人。彼らによって国家の基盤が構築されたほど、豊かな文化がもたらされた史実に驚かされました。仏教がはじめて伝来した飛鳥時代に日本最古の寺院を建立できたことも渡来人のおかげなのだとか。日本家屋に見られる馴染み深い「瓦」も大陸からもたらされたもの。さらに巨大な前方後円墳が八角墳、方墳など古墳のサイズが小さくなっていく、薄葬への流れもまた大陸から渡来した概念だそうです。数えきれないほどの文化、学問、建築、芸術が国外から流入し、はじめて「日本」という国が創成されていった、そのことは隣国との友好関係があったからに違いありません。古代飛鳥で育まれていた渡来人との関係性を知るにつれ、自分の中で何か“希望”のようなものに繋がっていく感覚がありました。おそらく、国の境界線は現代よりも曖昧で、私たちが思うよりもずっと自由に行き来できていたのではないでしょうか。渡来人の血が、私たちの中に流れているのかもしれません。
今回、「飛鳥・藤原」を題材とした映画制作の機会を与えていただけたことは、島国で暮らしていると感じづらい“繋がり”を思い出す良い機会となりました。そして、「隣人を愛そうよ」と語りかけてもらったような気がします。民族や言葉の壁を超え、多種多様な渡来人と共存した、そんな飛鳥時代を知ることが世界で悲惨な戦争が起きている今だからこそ、これからの未来を考えていくヒントになるのだと思います。

プロフィール
広瀬奈々子(ひろせ ななこ)

映画監督
分福所属。是枝裕和監督、西川美和監督のもと監督助手を務める。
2019年、柳楽優弥主演「夜明け」でオリジナル脚本、監督デビュー。釜山国際映画祭出品、東京フィルメックスでスペシャル・メンション受賞。同年、装幀者、菊地信義を追ったドキュメンタリー映画「つつんで、ひらいて」を発表し、再び東京フィルメックス、スペシャル・メンション受賞。
世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原」に関するPR短編映画「Boy Meets...」(2024年3月公開)を監督する。

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感情の濃淡が生み出した芸術表現。 現代までも彩る「万葉集」に見る言葉の美

音楽家、音楽プロデューサー Nao’ymt

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古代の一端に触れることができる「万葉集」を読むと、特定の語句を引き立てる枕詞をはじめとした、その表現の豊かさに感嘆を覚えます。私はなかでも万葉歌に見られる、歌の世界へと読み手を導く序詞じょことばにひらめきを得て「序詞」と題した楽曲を制作したことがあります。その「序詞」を冒頭曲とし、

複数の楽曲が重なりながら最終的に大きな終結点に至るという、フィールドレコーディングによる自然音を調えたコンセプトアルバムを発表したのですが、後にその表現手法が「万葉集」の歌群に通じていたことを知って驚きました。

表現とは、どの時代であっても“伝えたい”という明瞭な願望から全てが始まっていると思います。神や自然、人間、宇宙など対象は様々であっても、その思いをより深く伝えたくて、人は歌い踊り、壁に絵を描き、美意識の中で表現方法を模索してきたのではないでしょうか。

「万葉集」の編纂が始まった飛鳥時代は、「日本」という国名が誕生した激動の時代でした。約百二十年の間に律令制や戸籍、時間の概念など、社会を統制するためのたくさんの決まり事が導入されました。反面、その急激な変化の中で、人々はそれまでにはなかった苦しみや不自由さを知ったのではないかと思います。苦しみが生まれれば幸せが際立ち、汚れが目立つようになればきれいなものに憧れるのが人間です。そうして育まれた感情の濃淡こそが情緒として磨かれ、より表現を彩った時代なのかもしれません。

「万葉集」では古代の人々が愛し合い、死を悼む歌や、夜空を海に、月を舟に見立てるなど自然との深い結びつきを感じ取る歌が多く詠まれています。この情感豊かな歌の芸術は遠い昔から現代に至るまで美しい旋律で響き渡り、私の音楽制作に共鳴します。
日本の始まりを伝える文化遺産「飛鳥・藤原」の地を訪れ、「万葉集」の歌枕を巡る旅は、その魅力を味わう絶好の機会となりそうです。

プロフィール
Nao’ymt (なおわいえむてぃー)

音楽家、音楽プロデューサー
三浦大知、安室奈美恵、AI、山下智久など、数多くのアーティストに作品を提供する傍ら、「Sunrise」、「Japanese Summer Lost」 などのオリジナル楽曲も発表。映画「ドラゴンボール超 ブロリー」の主題歌として書き下ろした「Blizzard」をはじめとした映画主題歌も制作する。
日本ゴールドディスク大賞、日本レコード大賞、優秀作品賞を受賞。
三浦大知のアルバム「球体」では、日本の美意識を取り込んだ独自のコンセプトから、全17曲の作詞・作曲・プロデュースすべてを手掛けた出色の出来である。

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飛鳥時代の出来事

 

 

遺跡MAP 

 

TOPIC

・宮 都
・仏教寺院
・墳 墓
・魅力的な巨石たち、その他
・短編映画『Boy Meets...』


-宮都-

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡あすかきゅうせき

古代飛鳥の中心地だった宮跡の発掘調査が進むと、年代が合わない木簡などが出土。発掘者を悩ませたが、緻密な調査研究により新旧複数の宮殿跡が重層的に存在することがわかった。飛鳥岡本宮あすかおかもとのみや、飛鳥板蓋いたぶき宮、のちの飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原きよみはら宮の四代であると考えられる。かつて、大王おおきみの代替わりごとに場所を変えていた宮殿が、1つの場所で営まれるようになったことを物語る。

飛鳥宮跡
飛鳥宮跡




飛鳥京跡苑池あすかきょうあとえんち

飛鳥宮北西に隣接した庭園跡。広大な空間には南北2つの池が配され、南池では中島や噴水状の石造物のほか、桟敷のような施設が発掘された。それは飛鳥以前には見られなかった水辺の景色で、東アジアから影響を受けたものとみられる。北池で発掘された祭祀施設に、権力を誇示する饗宴の場が加わったことを示す。その後発展していく日本の庭園文化に繋がる最古の事例。



飛鳥京跡苑池
飛鳥水落遺跡

飛鳥水落遺跡あすかみずおちいせき

謎めいた地名の場所から他に例を見ない遺構が見つかった。その地名を「ミゾオチ」という。漆が塗られた木箱の断片と台座が発掘され、古代中国で発明された水時計、漏刻ろうこくであると判明した。地中からは漏刻へ水を送っていた樋管や銅管も出土。当時の最先端科学技術が具現された遺跡であると同時に、中国の皇帝による「時の支配」という概念が伝わったことを示す。

漏刻ろうこくとは
一定方向に流れる水の特徴を利用し、管を通した階段状の水槽で上段から下段まで水を流す。そして最下段の水かさを目印にし、時間を視覚化する装置。古代中国で発明されたもの。

酒船石遺跡さかふねいしいせき

過酷な労働を強いられた民衆は、長大な運河のことを「狂心渠たぶれごごろのみぞ」と呼んだ。そのような運河を造ってまで運ばせた切石を使って造営されたところこそ酒船石遺跡である。谷に築かれた石敷きの階段で囲われた広場の中央からは水を流す亀形石槽が発見された。谷奥の丘陵の上には、変則的な楕円形や隅丸方形による幾何学文様が彫刻された巨石が飛鳥時代から鎮座する。これらは水の祭祀と関連すると推定されている。そう、この造営を指示した斉明天皇は、祈雨を願う水の司祭でもあったのだ。

酒船石遺跡
酒船石遺跡
酒船石遺跡



飛鳥宮跡

藤原宮跡・藤原京朱雀大路跡ふじわらきゅうせき・ふじわらきょうすざくおおじあと

飛鳥宮の北方に新しく益した都で、「日本書紀」には「新益京あらましのみやこ」と表記される。大和三山に護られた選ばれし地に造営されたわが国最初であり、かつ最大の都城。碁盤目の街区が広がる巨大な都で、中軸を朱雀大路が南北に通る。天の中心、すなわち都の中心である大極殿に天皇の高御座たかみくらが据えられた。持統、文武、元明天皇三代にわたって政の中心となり、大宝律令制定や遣唐使再開、そして国号を「日本」と名乗った。まさに中央集権国家「日本」始まりの地である。

藤原宮跡・藤原京朱雀大路跡
藤原宮跡・藤原京朱雀大路跡


 

 

大和三山
やまとさんざん


…大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり
畝火の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます
耳成の 青菅山は 背面の 大御門に 宜しなべ 神さび立てり…


作者未詳
万葉集 巻一 五十二番歌「御井の歌」


 



香具山

香具山かぐやま

飛鳥東部の多武峰とうのみねなどを含む竜門山地の先端に連なる山で、天下る山、山の土は国御魂などと讃えられた、三山の中で最も崇められる聖山。「御井みいの歌」では春山らしく木が茂った山と讃えられた。

 

耳成山みみなしやま

畝傍山とともに火山活動で生まれた山。古くから大切なものに冠されてきた“み”という語句が繰り返される。風変わりな名の由来には諸説あり。近隣には推古天皇の宮が置かれていた。「御井の歌」では藤原宮北方、すなわち宮殿の背後を守護する神々しい山と讃えられた。

耳成山

 

耳成山
畝傍山

 

畝傍山うねびやま

「御井の歌」で藤原宮西方を護る瑞々しい山とされた畝傍山。「古事記」では反逆の知らせの歌の中に詠われ、「万葉集」では恋争いの歌としても登場。三山で最も高い山容は「雄々し」と表現された。

畝傍山

 

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-仏教寺院-

飛鳥寺跡

飛鳥寺跡あすかでらあと

神代から朝廷神事を担った物部もののべ中臣なかとみ氏との争いで勝利した崇仏派豪族、蘇我氏の氏寺。朱赤で彩られた柱や瓦を葺いた屋根など絢爛な仏教寺院がわが国で初めて現れた。高くそびえる塔を中心に配し、三方を金堂が囲む伽藍配置は国内唯一のものである。そのなかでも中心的な中金堂の跡には609年に完成した釈迦如来像(飛鳥大仏)が、1400年を経た今も当初のままの位置に鎮座している。

飛鳥寺跡
飛鳥寺跡


 

川原寺跡かわらでらあと

火災にあった宮殿を新たに造営する間、斉明天皇が仮に住まいした飛鳥川原宮の地に、661年に崩御した斉明天皇を供養するために建立された寺院が川原寺である。飛鳥川を挟んで飛鳥宮と東西に並び建つことから、その関係性が注目される。

 



川原寺跡



檜隈寺跡

 

檜隈寺跡ひのくまでらあと

渡来人、東漢氏やまとのあやうじ(倭漢氏)が7世紀後半に建立した氏寺。平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂も同族の子孫である。現在は、一族の祖である阿知使主を祀る於美阿志神社おみあしじんじゃが鎮座する境内から、寺院の堂塔の基壇や礎石が発掘された。講堂に採用された瓦積み基壇は百済にルーツを持つ意匠。周辺でもオンドル遺構など渡来人特有の施設が多数発掘されている。

 

 

橘寺跡たちばなでらあと

「日本書紀」や万葉歌から尼寺であったことが知られる橘寺。その境内に唯一残る飛鳥時代の五重塔跡からは、基壇上の礎石とともに地下式の心礎が発見された。心礎には心柱の周り三方に半円形の添柱を付した珍しい形の柱孔が穿たれており、多くの人の目を惹きつける。

 



橘寺跡



山田寺跡

 

山田寺跡やまだでらあと

乙巳いっしの変」で中大兄皇子に付いた、蘇我倉山田石川麻呂が建立した氏寺。649年、石川麻呂は謀反の罪を着せられ、無実を訴えるも陳弁の機会も与えられないまま自害、山田寺は悲劇の舞台となった。
時を経て疑いが晴れ、事件から14年後に伽藍の造営が再開。685年の石川麻呂の命日には丈六仏が開眼され、天武天皇の行幸も行われた。


山田寺跡

 

大官大寺跡だいかんだいじあと

文武天皇の治世、701年に大宝律令が制定され、名実ともに律令国家の都城となった藤原京内に建立された天皇の寺を意味する大官大寺。藤原京で最も尊ばれた国営官寺で、鎮護国家の象徴である九重塔はひときわ目立っていたことだろう。平城京遷都直後、未完のまま焼失し、京内最大の伽藍も金堂と塔の基壇を残すのみとなった。 中世以降の電線ひとつない広大な水田景観を今でも留めている。



大官大寺跡

大官大寺跡



本薬師寺跡

 

本薬師寺跡もとやくしじあと

680年、皇后の病気回復を祈り天武天皇が建立を開始。天武天皇崩御後の698年になって、持統天皇により伽藍がほぼ完成した。その伽藍配置は、それまでの日本で前例のない双塔式。金堂の前に2つの仏塔が並び建つものであった。
中国・唐と断交中だった当時、使節の往来が盛んであった朝鮮半島の新羅国の都でも多くの双塔伽藍が造営され始めており、最新のスタイルを両国が取り入れたことがわかる。


本薬師寺跡

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-墳墓-



高松塚古墳

 

高松塚古墳たかまつづかこふん

漆喰壁に描かれた見事な壁画古墳が発掘されたのは1972年。天井の星宿図や、四方を守る四神像、さらに東西の壁には男女の従者が群像で描かれた。
筆致から複数の画工が描いたことが判明した。さらに、女性の唇は灰色の上に朱色を重ねてより深く発色させるなど、非常に細やかな技法が用いられていることもわかった。


高松塚古墳

 

菖蒲池古墳しょうぶいけこふん

一辺30mの方墳で、横穴式石室のなかには内面を漆塗りした優美な石棺が2基安置される。藤原宮の時期に濠を埋めるなど、古墳の存在が分からなくなるほどの大規模な土地改変の痕跡も確認された。蘇我氏の邸宅が存在した甘樫丘至近であることなどから、被葬者名に蘇我氏があがっているが、判明はしていない。

 



菖蒲池古墳



牽牛子塚古墳

 

牽牛子塚古墳けんごしづかこふん

飛鳥宮の西郊外の高台で、平面形が八角の古墳が発掘された。1つの巨石から2つの部屋と棺台が削り出された合葬墓で、隣接した場所からもう1基の古墳も見つかった。「日本書紀」との照合により、斉明天皇と娘、間人皇后を葬った小市岡上陵と孫の大田皇女の墓である可能性が高まった。丘の上にそびえる石貼りの八角墳に当時の人々も驚いていたことだろう。

 

 

石舞台古墳いしぶたいこふん

長さ約5.5メートルにも及ぶ「飛鳥石」の巨石を積み上げた横穴式石室は、全長約19mで国内最大級。玄室は長さ7.7m×幅3.5mで畳15帖以上の広さになる。「日本書紀」に記される位人臣を極めた豪族、蘇我馬子の「桃原墓ももはらのはか」であることが有力視される。一族を結集した力が費やされ偉大な族長のため、王陵にも匹敵する墳墓が営まれた。



石舞台古墳

石舞台古墳



天武・持統天皇陵古墳

 

天武・持統天皇陵古墳てんむ・じとうてんのうりょうこふん

古代最大の戦い「壬申じんしんの乱」の勝利者であり、律令国家の実現に邁進した天武天皇とその皇后持統天皇の合葬陵で、天皇の絶対的地位を表すために日本独自に創出された八角墳である。この御陵は、天武天皇が計画し、その後持統天皇が引き継いで完成させた日本初の都城「藤原宮」の中軸の延長線上に極めて計画的に造営されたのだ。

 

 

中尾山古墳なかおやまこふん

棺が入らない非常に小規模な埋葬施設(横口式石槨)が発掘されたことから、火葬した骨蔵器が納められたと推定される。八角墳であること、火葬であることと「続日本紀」の記述から、707年に崩御した文武天皇の御陵である可能性が指摘される。

 



中尾山古墳



キトラ古墳

 

キトラ古墳きとらこふん

四方を守護する霊獣、朱雀、玄武、青龍、白虎の四神と獣頭人身の十二支が描かれた壁画に加え、石室の天井に精密な天文図が描かれた。直径13mと、これまで400年以上築かれ続けた古墳の中でも極めて小さい円墳だが、四方位を守護する「四神」、時間や年月、方位を司る「十二支」、そして天空を司る天文図の星座たち、死者が眠りにつく空間に尽くされた芸術的な小宇宙を見るに、相応の位の人物が葬られたと推定するに難しくない。

 

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-魅力的な巨石たち、その他-



益田岩船

 

益田岩船ますだいわふね

長さ約11m、高さ約4.7mの巨石が山の中にポツンとたたずむ。上面には2つの方形穴が穿たれている。諸説あるが、未完成の石槨が有力視される。なぜ、未完のまま放置されたのだろうか。

 

 

不動滝の石切り場ふどうだきのいしきりば

石舞台古墳の巨大な石材など、通称「飛鳥石」と呼ばれる花崗岩を採った場所との説がある。滝への入口には薬師堂が鎮座。

 



不動滝の石切り場



吉備姫王墓・猿石

 

吉備姫王墓・猿石きびひめのみこのはか・さるいし

18世紀初頭、近隣の水田から掘り出された石像である。猿石と呼ばれるようになったこの4体の石像は天智、天武天皇の祖母にあたる吉備姫王の墓の垣の内にひっそりとたたずむ。

猿石2
猿石3

 

 

明日香伎楽こども教室あすかぎがくこどもきょうしつ

1400年前、大陸から飛鳥へ伝来した仮面舞踏劇、それが「伎楽」である。「伎楽」は中世には廃れてしまいどのように演じられていたかは伝わっていない。今、明日香村のこどもたちは自由な発想で古代文化の再現を楽しんでいる。

 



明日香伎楽こども教室



飛鳥蹴鞠

 

飛鳥蹴鞠あすかけまり

中国から蹴鞠が伝わったのは飛鳥時代だと言われている。中大兄皇子と中臣鎌足が出会った蹴鞠は、槻の木の広場で行われたと記録されている。その槻の木の広場だったとされる飛鳥寺西方遺跡にて蹴鞠に興じる飛鳥蹴鞠会の人々。

飛鳥蹴鞠

 

 

香具山には巨石がたくさんある。それぞれに逸話が残されており、磐座いわくら信仰の名残だと言われる。

天岩戸神社
天野岩戸神社あまのいわとじんじゃ
月輪石
月輪石つきのわいし



月の誕生石
月の誕生石たんじょういし


鬼の俎

 

鬼の俎おにのまないた

鬼が霧を生み、迷った旅人を捕らえ、まないたの上で料理して食べたという伝承がある巨石。その丘の下には、食後の鬼が用を足したとの伝承のある「鬼の雪隠せっちん」がある。なぜ、このような伝承が生まれたか興味は尽きないが、現在はこれらの2石が組み合わさって、1つの古墳の埋葬施設(横口式石槨)だったことが判明している。

 

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Boy Meets ...

今回のWEB版掲載にあたりコメントをいただきました、分福 広瀬監督に「飛鳥・藤原」を舞台にした

短編映画を制作していただきました。

こちらも是非ご覧ください。




Story


奈良県・明日香村で偶然に出会った直人とユニ。

ふたりは、世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原」の遺跡を巡る中、1300年前にも韓

国からの渡来人と日本人に交流があったことを知る。

ユニに心惹かれる直人だが、ふたりの時間はあっという間に過ぎ__。

時を巡るボーイ・ミーツ・ガール。


映画を視聴する。




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写真 石川直樹
発行 奈良県 文化・教育・くらし創造部 世界遺産室 2024年3月発行
写真は世界遺産暫定リスト「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産以外の場所も含まれます。 ©Nara Prefecture All Rights Reserved. 本WEBページ掲載の写真等の無断転載を禁じます