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太子が飛鳥から離れて斑鳩に移ったことについては謎が多いですが、理由のひとつとして膳氏が挙げられています。膳妃は地方豪族、膳氏の娘ですが、父親が支配していた地域が斑鳩なのです。当時の都心だった飛鳥とは距離があるので、膳妃のふるさとに近い場所で、家族でゆったりと暮らしたかったのかもしれません。
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膳妃との関係についてのお話を聞くと、そんな気がしてきますよね。他の理由にはどのようなものがあるのでしょうか?
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斑鳩は交通の要所で難波への入口にあります。斑鳩は、現在の大阪府・柏原市との境目に位置し、大和川にも近く、陸路も水路もあるわけです。飛鳥にも難波にもアクセスの良い土地だったため、斑鳩を選んだという説もありますね。都心の飛鳥に対しての斑鳩は副都心のような立ち位置だったのかもしれません。
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なるほど。太子は605年に斑鳩に移り住んでいますが、暮らしぶりはどんな感じだったのでしょう。605年と言えば、十七条憲法が出された翌年ですが、すでに隠居のような生活だったのですか?
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仏教にのめり込んでいたのか、家族でゆったり暮らしていたのか、何をしていたのかははっきりと分かっていません。ただ斑鳩と飛鳥の間には太子が往来したとされる「太子道(※)」が残っています。斑鳩にある宮殿で家族と暮らしながら、政治にも携わっていたことは確かです。
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