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続いて、戦況についてお聞きしたいと思います。大友の挙兵準備を受けて、吉野の大海人はどんな対応をしたのですか?
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大友は、吉野に食料を運ぶ道を閉ざそうとしました。大海人は、いつ大友軍が攻めてくるかも分からない状況に耐えかねて吉野を脱出します。
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大海人は、どこに向かったのでしょうか。
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吉野の東、三重県へと移動したようです。逃げる目的もありましたが、同時に地方の豪族を次々と集めて軍を形成していきました。
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逃げながら軍を形成……? 軍への参加要請を受け入れるのは簡単ではないと思うのですが、大海人はなぜ、多くの人を集められたのでしょうか。
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白村江の戦い以降、豪族の間で天智天皇への不満がたまっていたという背景があります。天智天皇は、日本初の戸籍・庚午年籍(こうごねんじゃく)という制度を導入しましたが、これが豪族に不利な制度でした。戸籍があれば、朝廷は税の徴収や徴兵をスムーズにできるわけですが、それまで税の徴収や徴兵は有力豪族の仕事でした。これによって地方の有力豪族は、自分たちの力が下がると思ったのです。このようなことも一因となって、天智天皇直系の大友ではなく大海人の味方をしようと考えたのです。
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