『日本書紀』仁徳天皇62年の条に氷室の発見から皇室へ献上するまでが記されています。額田大中彦皇子(ぬかたのおほなかつひこのみこ)が、闘鶏(つげ)に狩りに来られたとき、野中に光るものを発見され、闘鶏稲置大山主(つけいなきおほやまぬし)に問われたところ、天然氷の「氷室」であることがわかりました。皇子はその氷を持ち帰り天皇に献じられたところ、いたく歓喜され、以後、献上するようになりました。また、昭和63年の平城京跡長屋王屋敷発掘調査では、6万点にもおよぶ木簡が出土し、その中に「都祁氷室」「都祁氷進始日」など氷室の造り方や長屋王邸へ運んだ人名なども記されていて、福住の氷室の存在が明らかになりました。その資料をもとに地元の皆さんにより古代氷室が復元されています。