太子の里・斑鳩名所めぐり

  • 太子の里・斑鳩名所めぐり
  • 聖徳太子が、斑鳩の地の宮を造営されて1400年。当時の仏教文化を現在に伝える法隆寺をはじめ、聖徳太子ゆかりの寺院や、古くから紅葉の名所として名高い竜田川など、斑鳩の歴史・文化や自然に触れていただけます。いまだ埋葬者が謎につつまれる藤ノ木古墳や、聖徳太子に法隆寺の建立場所を告げた竜田明神の伝説がある竜田神社など、古代のロマンあふれるルートになっています。歴史と伝説に彩られた斑鳩。古代の風を身にまとい、太子の里へ出かけましょう。

【このルートをおすすめする観光ボランティアガイド】斑鳩の里観光ボランティアの会

斑鳩の里観光ボランティアの会

■ガイド団体紹介この感動と魅力を広めたい!世界最古の木造建築として日本初の「世界文化遺産」に登録された「法隆寺」を中心に、斑鳩の里を訪れる人々に歴史と文化の数々をお伝えするふれあいを!との願いを込めて平成14年春に活動を開始しました。幸い昨年(平成20年)には約3500組のお客様をご案内しました。現在110名の会員で活動しています。お一人様でもお申し込みいただけます。■連絡先(ガイド申し込み先)斑鳩町観光協会(斑鳩の里観光ボランティアガイドの会事務局)〒636-0116 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1-8-25 電話:0745-74-6800 FAX:0745-75-9090E-mail ikaruga@kcn.ne.jp ホームページアドレス http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/kankou/

三井瓦窯跡【史跡】(みいかわらがまあと)

三井の瓦窯跡【史跡】(みいのかわらがまあと)三井の瓦窯跡【史跡】(みいのかわらがまあと)

1931(昭和6)年に果樹園拡張のための開墾中に発見されました。瓦塚2号墳の後円部の西側斜面を利用した登り窯で、出土した瓦から、飛鳥時代後半頃の瓦窯と考えられています。三井瓦窯跡は、法起寺の北西約100メートルに位置し、瓦窯がある南北にのびる尾根上には、前方後円墳2基(1号・2号墳)と円墳1基(3号墳)からなる瓦塚古墳群があります。

三井【史跡】(みい)

三井【史跡】(みい)

聖徳太子は我が子の産湯を使うのに三つの井戸を掘ったといわれています。そのため法輪寺の旧境内であったこの辺りを「三井(みい)」と呼ぶようになったといわれています。いかるが溜池の堤にそって三井の集落へ歩を進めると竹林があり、大きな民家の土塀や板壁に挟まれた路地を抜けると、瓦屋根の覆屋の中に井戸があります。「赤染の井」とも呼ばれ、今なお水をたたえています。井戸枠は、塼(せん)と呼ばれるレンガ状の焼きものを積み上げたもので、飛鳥時代後半の井戸と考えられています。

西里の町並み(にしさとのまちなみ)

西里の町並み(にしさとのまちなみ)

法隆寺の西隣にあり、法隆寺と大きく関わりを持つ大工集団の集落でした。この辺りには、聖徳太子が飛鳥より住まいを移された頃、朝鮮半島や中国大陸から文化を伝えた僧や技術者がおり、当時文化的先進の地であったと思われます。江戸時代には、法隆寺の修理や大坂城や駿府城・江戸城の築城に関わり、五畿内の大工棟梁にまでなった中井大和守正清は西里の出身で、法隆寺の昭和大修理で棟梁をつとめた西岡常一氏も西里に住まいされていました。

藤ノ木古墳【史跡】・斑鳩文化財センター(ふじのきこふん・いかるがぶんかざいせんたー)

藤ノ木古墳は、法隆寺の西約400メートルに位置し、昭和60(1985)年より発掘調査が行われ、石室内からは朱塗りの家形石棺とともに素晴らしい金銅製馬具類・金銅製冠・大刀などの副葬品が出土しました。また、石棺内は盗掘を受けず、埋葬当時のままでしたが、被葬者は現在も謎に包まれており、古代のロマン誘うところです。平成20(2008)年、藤ノ木古墳の整備が完了しました。斑鳩文化財センターは、斑鳩町の文化財調査・研究及び情報発信の拠点として藤ノ木古墳から出土した代表的な副葬品のレプリカの展示や映像による解説などにより、藤ノ木古墳について解りやすく案内しています。

藤ノ木古墳・斑鳩文化財センター(ふじのきこふん・いかるがぶんかざいせんたー)藤ノ木古墳・斑鳩文化財センター(ふじのきこふん・いかるがぶんかざいせんたー)藤ノ木古墳・斑鳩文化財センター(ふじのきこふん・いかるがぶんかざいせんたー)

龍田の町並み(たつたのまちなみ)

龍田の町並み(たつたのまちなみ)

奈良街道・当麻道の道筋に龍田神社を中心に「龍田市」として栄えました。郡山に次ぐ賑わいであったといわれ、商家や旅籠が軒をつらねたといわれます。その中にある龍田神社は、法隆寺の鎮守社であり、聖徳太子が法隆寺を建立するのにふさわしい場所を探しておられたとき、竜田明神が白髪の老人の姿になって告げたという伝説が残っています。また、この地域で活躍していた猿楽の「坂戸座」が、能楽金剛流のルーツとされ、境内には「金剛流発祥之地」碑が建っています。

県立竜田公園(けんりつたつたこうえん)

竜田城跡から信貴山城跡を望む県立竜田公園(けんりつたつたこうえん)

「ちはやぶる 神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは(在原業平)」などのように、古くから紅葉の名所として知られている竜田川は、生駒山系に水源をもち、生駒山地と矢田丘陵に挟まれた生駒谷を流れて、斑鳩で大和川と合流しています。県立公園は、竜田川の河川公園として約2キロメートルにわたり整備されており、春は三室山の桜、秋は川畔の紅葉と四季折々楽しんでいただけます。公園内にある堂山は、片桐且元の竜田城(陣屋)跡です。竜田城跡から信貴山城跡を望む

吉田寺(きちでんじ)

吉田寺(きちでんじ)

創建は、天智天皇の勅願または、永延元(987)年に恵心僧都(源信)が開基したと伝えられています。本堂には本尊丈六阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。また、境内には奈良県下では数少ない重要文化財の多宝塔があります。内部には、恵心僧都の父 卜部正親公の菩提追善のためと伝えられる秘仏 大日如来像が安置されており、公開は9月1日・2日、11月1日~3日です。また、吉田寺は別名「ぽっくり寺」とも呼ばれ、腰・シモ・スソの世話にならず天寿を全うし安らかに往生できるという霊験があると伝えられています。

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