漆部郷(ぬるべのさと)の起源「以呂波字類抄(いろはじるいしょう)」引くところの「本朝事始(ほんちょうことはじめ)」に、倭武皇子(やまとたけるのみこ)が、宇陀(うた)の阿貴(あき)山に猟に行った時、漆の木を見出し、漆の官を任じたという伝(つたえ)を記(の)せています。 倭武皇子が、宇陀の阿貴山で狩猟をしていた時、大猪に矢を射たが、止めを刺すことができなかった。部下(てした)の1人がそれならばと、漆の木を折ってその汁を矢先に塗り込めて、再び射ると、見事に大猪を仕留めることができた。塗りの木汁で手が黒く染まった皇子は、部下の者に命じてその木汁を集めさせ、持っている品物に塗ると、黒い光沢を放って美しく染まった。 そこで、その地を漆河原(うるしがわら)(現・大宇陀町嬉河原(うれしがわら))といい、漆の木が自生している宇陀郡(うたこおり)奥、曽爾の郷に「漆部造(ぬりべのみやつこ)」を置いた。 これが、日本の「漆塗り」の始まりです。この塗部の人々が曽爾川沿いの一帯に住み、漆塗りの原汁を採集して、朝廷(奈良-平安朝)に奉りました。門僕神社前(かどのふさみやまえ)の漆部橋(ぬるべはし)を渡って山に入ると、漆部造の屋敷跡が残っています。