正しくは、聖衆来迎練供養会式(しょうじゅらいごうねりくようえしき)といい、惠心僧都源信が大衆を浄土信仰に導くために始めたものです。5月14日は、中将姫が生身のまま生仏した日に由来すると言います。 当日の午後、本堂(曼陀羅堂)を西方浄土に見立てて長い掛け橋が渡されます。極楽浄土から二十五菩薩に扮した人たちが、介添役につきそわれて娑婆堂に進み、中将姫を蓮台に乗せて浄土へ導くというもので、来迎引接のさまを演劇的に表現したものです。中将姫は奈良時代の右大臣藤原豊成の娘で、幼くして母を失い、継母に育てられました。しかし、継母から嫌われ、山に捨てられてしまいましたが、父と再会し一度は都に戻りましたが姫の願いにより當麻寺に入り曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)を織ることを決意し,百駄の蓮糸を集めて蓮糸を繰り、これを井戸にひたすと五色に染まりました。その蓮糸を一夜で一丈五尺(約4メートル四方)もの蓮糸曼荼羅を織り上げました。