新沢千塚の北東部に、船付山からのびる屋根の先端部を利用して築かれた一基の大型の前方後円墳です。宣化天皇陵に治定されています。ミサンザイは御陵(みささぎ)の訛ったもので、古くから御陵墓の伝承があったことになります。古墳は尾根を利用して築かれているため、北北東に前方部を向けています。そのため北東から北西にかけて築堤を行って、幅の広い深い濠となっています。しかし上手の南側は濠幅も狭く、外堤も低いので、墳丘が二段に構成され、前方部と後円部の境のくびれ部分に方形の造り出しをもっています。また葺石や埴輪をめぐらしていることが外部からでも観察できます。