かつてこの地域は古代豪族「巨勢(こせ)氏」の本拠地であったとされ、大規模な寺院跡である「巨勢寺塔跡」や、有力者を埋葬されたと思われる古墳が多くあります。また、万葉集で詠まれた椿の名所「阿吽寺(あうんじ)」やお年玉の習慣の発祥地といわれる「葛木御歳(かつらぎみとし)神社」の近くを通り、歴史を感じながら散策することができるコースになっています。金剛・葛城山の雄大さを感じながら散策をお楽しみください。船宿寺の近くにある温泉施設「かもきみの湯」は散策の疲れを癒すのにぴったりです。
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高取町境〜船路バス停まで約7.4km 高低差約113m
聖徳太子創建の伝承があり、日本書紀には巨勢寺という大寺院があったとされています。現在では塔跡である礎石のみが姿を残しており、礎石は極めて複雑な工作が施されています。昭和2年に国の史跡に指定されています。また、昭和62年に行われた発掘調査では、寺域が南北50m、東西100m程度の大規模な寺であったことなどがわかっています。
【住所】御所市古瀬 【TEL】―
巨勢山中腹、標高200mに位置する神社。祭神は、はじめ大山衹命であったと思われますが、現在は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祭られています。同社は、『延喜式』神明帳及び『三代実録』に記載された由緒ある神社です。清和天皇貞観元年に正五位下に昇叙しています。創建年代は不明ですが、棟札は寛永5年(1638)のものが残されています。
聖徳太子建立といわれる巨勢寺の子院のひとつであり、「つらつら椿」の名所です。万葉集に「巨勢山の つらつら椿 つらつらに見つつ偲はな 巨勢の春野を」と詠まれています。 平安時代の洪水で村人が避難に窮したとき、阿吽法師が来て村人を救済したので、その名前に因んで阿吽寺とよばれるようになったと言われています。
【住所】御所市古瀬361 【TEL】―
祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)(応神天皇)であり、八幡神社の総本官、大分県の宇佐八幡宮の宮司によれば、神宮縁起の一文に、「欽明天皇32(571)年、神社境内の菱形池のほとりに神が降りられ、『我は誉田天皇広幡八幡麻呂(ほむだのすめらみことひろはたやはたまろ)なり』と申されたので、その地に創建した」とあります。川合八幡神社の祭礼には大きな餅を作り、奪い合うという珍しい珍事があり、民俗学で注目をされています。神社の棟札は写しと思われ、現在の本殿は様式上、天保12(1841)年の棟札が示すとおりと考えられています。
【住所】御所市古瀬720 【TEL】―
大字朝町小字宮山の唐笠山(とがさやま)東麓に鎮座し、神名帳に記載された神社で、三輪明神ともいわれています。創始年代は不明ですが、大己貴命(おおあなむちのみこと)が祭神となっています。 桜井市の大神神社と同様に、神社としては古い形式の神社で、自然神を崇拝する原始的な信仰と考えられ、本殿はなく、サルスベリの大樹を神体としています。
【住所】御所市朝町 【TEL】―
全国の御歳神社の総本社。本殿は江戸時代に春日大社の第1本殿を移築したもので、ご神体は御歳山。「御歳」とは五穀豊穣の稲の神で、年に一度の収穫というところから正月に迎える歳神となりました。歳神様へは鏡餅を供え、その御餅に宿る「御歳魂」が「お年玉」の起源だと言われています。
【住所】御所市東持田269 【TEL】0745-66-1708
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