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奈良の歩き方新提案 奈良盆地周遊型ウォークルート

概要

奈良盆地の中央に位置する橿原市を通るこのルートは、日本最初の本格的都城である藤原京を通り、万葉集で詠まれている香具山や畝傍山・耳成山といった大和三山を望むことができ、古代の日本に思いを馳せながら歩くことができます。藤原宮跡では、春には菜の花、夏には蓮と黄花コスモス、秋には色とりどりのコスモスが咲き誇り、四季折々の風景を楽しむことができます。また、香具山では万葉集の世界を感じながら歩くこともさることながら、日の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れたという逸話の残る、天岩戸(あまのいわと)を御神体とする天岩戸神社もあり、神話の世界を感じることもできます。場所によって様々な楽しみ方があるルートです。

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地図
桜井市境〜明日香村境まで約5.7km
高低差ほぼ平坦

大和三山

みどころガイド

妙法寺

興福寺

 妙法寺(みょうほうじ)(御厨子観音(みずしかんのん))は、奈良時代に吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として派遣され、無事唐から帰国できたことを喜んで創建させたといわれています。本尊は十一面観音菩薩で、吉備真備が中国で窮地に立たされた時、蜘蛛に助けられたというエピソードもあることから、クモ観音とも呼ばれています。真備の功績の1つである「大般若経(だいはんにゃきょう)」は、現在奈良国立博物館に保管されています。また、寺の東側に、万葉集で大津皇子(おおつのみこ)が辞世の歌として詠んだ「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」で有名な磐余(いわれ)の池があったと言われています。

【住所】橿原市東池尻町
【TEL】0744-22-3928

興福寺

 興福寺

 585年に、物部守屋(もののべのもりや)が仏法を嫌い、飛鳥の橘寺(たちばなでら)に火を放って焼いたとき、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山(かぐやま)の頂上に逃れて行き、それを知った聖徳太子が香具山の山麓のこの地に寺を建立して地蔵を祀ったと言われています。また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛などによく効くそうです。

【住所】橿原市下八釣町
【TEL】―

藤原宮席

 藤原宮席

 藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところです。藤原宮は、一辺約1kmの中に現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を持ち合わせたような場所でした。藤原京は16年間の都でしたが、藤原宮の構造は、その後の都にも引き継がれていきます。
 藤原宮跡では、菜の花やコスモス、蓮など、季節ごとに色とりどりの花を楽しむことができます。また、大和三山の絶好の眺望スポットとなっており、平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが「重要眺望景観」に指定されました。特に、香具山方向を望む展望には、コンクリート系の建物がまったく映り込まないため、「光男の栗」「朱花(はねづ)の月」といった映画の撮影舞台にもなっています。

【住所】橿原市醍醐町
【TEL】―

スポット

 スポット

 畝尾都多本神社は、「哭澤(なきさわ)の神社(もり)」とも言います。祭神の哭澤女神(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると国生みの最後の段階で、伊邪那美神(いざなみのかみ)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生み亡くなったのを、父の伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。
 神殿はなく、玉垣で囲んだ空井戸をご神体とし、境内には末社の八幡(はちまん)神社が鎮座しています。
 桧隈女王(ひのくまのおおきみ)が、「哭澤の 神社(もり)に神酒据(みわす)ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ」と詠んだと言われる万葉歌碑が境内にあります。

【住所】橿原市木之本町
【TEL】―

スポット

 スポットb(写真提供:奈良文化財研究所)

 奈良文化財研究所 都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)は、飛鳥・藤原地城に残る遺跡(宮・京・寺院・古墳墓など)の発掘調査や整備をおこない、出土した遺物(土器・木器・金属器・瓦類・木簡など)の調査や保存整理にたずさわる研究機関です。
この資料館では、藤原宮跡で出土した瓦・土器・木簡などを多数展示しているほか、往時の様子が分かりやすく展示されています。
 藤原京の左京六条三坊という箇所にあり、発掘調査で見つかった主な遺構が敷地内に表示されています。

【住所】橿原市木之本町
【TEL】0744-24-1122(奈良文化財研究所都城発掘調査部)

香具山

 香具山

 平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。
 標高は152.4mで、万葉集では「天香具山(あまのかぐやま)」と詠われています。
 大和三山の中で、最も神聖視されている山で、「天の」を冠するのは、天から降り来た山という伝説もあるためにあがめられたとも言われています。
 山中には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)、さらに国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)があり、神聖視されてきた歴史がうかがえます。万葉集には、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が大和三山のことを詠んだ歌があります。
 「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」

【住所】橿原市南浦町
【TEL】―

天香具山

 天香具山

 天香山神社の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)です。
 境内にある「朱桜(にわざくら)」という古名で知られる「波波架(ははか)の木」は、その昔、占いに用いられたと言われています。
 「古事記」の天岩戸(あまのいわと)神話には、天香具山の雄鹿の骨を抜きとって朱桜の木の皮で焼き、吉凶を占ったとあります。

【住所】橿原市南浦町
【TEL】―

天岩戸

 天岩戸

 香具山の麓にある神社で、本殿はありませんが、日の神・天照大御神が隠れた天岩窟(あまのいわや)または、天岩戸と言われる巨石がご神体です。天岩戸の逸話は以下のとおりです。
『天照大御神は、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)があんまり乱暴を働くので、岩戸に隠れてしまいました。日の神が隠れたことによって世の中は闇に包まれてしまいます。そこで、神々は岩戸の前に集まって、ある神様が踊り出し、これをほかの神様も笑いながら楽しみました。隠れていた天照大御神が、外の様子が気になって岩戸から顔を覗かせたとき、天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)が外に出すと、また世の中は元どおり明るくなりました。』
 また、境内には毎年新しい竹が7本育つ代わりに、別の7本が枯れ死するという「7本竹の不思議」が伝わっています。

【住所】橿原市南浦町
【TEL】―

法然寺

 法然寺

 香具山少林院(しょうりんいん)法然寺、浄土宗。表門・本堂・鐘楼・客殿などがあって、境内はかなり広く、客殿座敷に面して、香具山を背景に美しい庭園があり、この地方には珍しい名園です。
 法然寺は鎌倉時代の初めごろ、法然上人が高野から橘寺を経て御帰還の途上、この地に巡錫(じゅんしゃく)され、この地に少林院を開いて念仏化導の道場としました。その後、寺号を法然寺と称するようになりました。現在は、法然上人霊蹟25霊場の第10番札所になっています。堂内の拝観を希望される場合は、事前に予約が必要です。

【住所】橿原市南浦町
【TEL】0744-22-3767


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〒630-8501 奈良市登大路町30番地
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