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奈良の歩き方新提案 奈良盆地周遊型ウォークルート

みどころ概要

“古代ヤマト”の中心であった桜井市の中で、「磐余(いわれ)」地域は奈良盆地の東南端に位置し、桜井市の西部地域を指した古代の地名で、古事記・日本書紀に伝えられたヤマト王権の諸宮を伝えた地です。「磐余」の名は、日本書紀の神武東征物語にも登場し、初代天皇「神武天皇」の和風諡号(わふうしごう)にも神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)と「磐余」が含まれています。この「磐余」の地を中心に歴史の地を巡るルートには、日本最大の文殊菩薩(国宝)のある「安倍文殊院」などがあり、大化改新の歴史の舞台へつながる道でもあります。また、「神武天皇」にゆかりのある鳥見山(とみやま)の西麓にある「等彌(とみ)神社」は、秋の紅葉も見事です。悠久に続いてきた歴史やゆかりの人物を訪ねてみてはいかがでしょうか。

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桜井
桜井駅〜橿原市境まで約4.6km
高低差ほぼ平坦

 全体

みどころガイド

伊勢街道

 伊勢街道

 大阪から三重の伊勢神宮に通じる伊勢街道(初瀬街道)の一部であり、江戸時代に大流行した「お陰参り」の道として賑わいました。このあたりは、伊勢街道(初瀬街道)と大和を南北に縦貫する上ツ道(上街道)、多武峯(とうのみね)街道が交わる交通の要衝となり、付近には魚市場が開かれ「宿場町」へと発展したといわれています。現在は本町通として商店や町家が軒を連ね、ここより少し西の小西橋から東の跡見橋(あとみばし)付近にかけての街道沿いには、伝統的な明治、大正、昭和戦前の町並みが残っています。重厚で伝統的な佇まいを残した町家も見られ、今も昔の風情を偲ぶことができます。

【住所】―
【TEL】0744-48-3110(桜井市観光まちづくり課)

来迎時

 来迎寺

 融通念仏宗のお寺で、旧伊勢街道沿いにあります。永正10(1513)年了清(りょうせい)が創建し、現在の本堂は江戸末期に再建されたものです。本尊の厨子入十一尊天得如来(ずしいりじゅういっそんてんとくにょらい)のほか、国指定重要文化財に指定されている木造地蔵菩薩立像などが安置されています。境内には、松尾芭蕉の句碑が建っています。

【住所】桜井市桜井976
【TEL】0744-42-2303

とみじんじゃ

 上之宮遺跡

 鳥見山の西麓に鎮座する千数百年の悠久の歴史と伝統を有する神社で、10世紀前半にまとめられた「延喜式」の神名帳にはすでに記載があります。境内には、160余基の石灯籠が立ち並び、また佐藤春夫や堀口大学といった著名人の歌碑や句碑が13基建立されています。等彌神社の東側に位置する鳥見山は、橿原神宮で即位した初代天皇である神武天皇が皇祖神(天照大神(アマテラスオオミカミ))を祀った場所と伝えられ、昭和15年に鳥見山中霊畤顕彰碑(とみやまなかれいじけんしょうひ)が建立されています。毎年11月下旬頃に開催される献灯祭では、境内の紅葉のライトアップを行うとともに、奉納された約500個のぼんぼりに献灯がなされます。近年、伊勢神宮より譲与された内宮鳥居が第1鳥居として建立されました。

【住所】桜井市桜井1176
【TEL】0744-42-3377

上之宮遺跡

 上之宮遺跡

 発掘調査により6世紀から7世紀にかけての重要な遺構・遺物が多数確認されています。なかでも石組みによる園池遺構や溝、四面庇付大型建物、日本列島で最古級の事例である木簡やベッコウの存在は注目され、これらは飛鳥時代の有力者の居館(きょかん)に伴うものであると考えられています。
 この居館遺構については、付近を根拠地とした有力氏族である阿倍氏の居館跡とする考えがありますが、この地は「上之宮」という地名から、古くより廐戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子)が幼少時代を過ごした「上宮」の推定地とされてきたところでもあります。確認された遺構の時期や内容はこれにふさわしいもので、「上宮」に相当するものであるとする考えも依然有力となっています。

【住所】桜井市上之宮
【TEL】 0744-42-6005(桜井市立埋蔵文化財センター)

土舞台

 土舞台

 聖徳太子がこの地で子供たちに伎楽(ぎがく)を習わせ、その後宮廷に伎楽が加わったので、「日本芸能発祥の地」と言われています。『日本書紀』や『聖徳太子伝暦』などには、推古20(612)年に、百済人味摩之(くだらびとみまし)が呉(くれ)の国で「伎楽舞(くれのうたまい)」を学んだと申したので、時の摂政であった聖徳太子はその「伎楽舞」なるものをご覧になり、桜井で少年を集めて習わせたという記述が残っています。

【住所】桜井市谷
【TEL】0744-48-3110(桜井市観光まちづくり課)

安倍文殊院

 安倍文殊院

 文殊院は、安倍一族の氏寺として、大化元(645)年に大化の改新の中枢として諸政策を実行した安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が創建した安倍寺に由緒をもちます。本尊は、4体の脇侍を従えた高さ7mの日本最大の文殊菩薩像(渡海文殊群像・5体全て国宝)で、鎌倉時代の大仏師・快慶によって造立されました。安倍文殊院は俗に「安倍の文殊さん」として親しまれ、切戸文殊(京都府)・亀岡文殊(山形県)とともに、日本三文殊のひとつに数えられる華厳宗(けごんしゅう)の別格本山です。また、縁結びの神様として知られる白山堂の社殿は、室町時代後期に建立された流造杮葺(ながれづくりこけらぶき)の建物で、重要文化財に指定されています。
◆拝観時間:9:00~17:00
◆拝観料:本堂・霊宝館それぞれ700円、2ヶ所共通1,200円

【住所】桜井市阿部645
【TEL】0744-43-0002

西古墳

西古墳

 安倍文殊院境内にある古墳で国の特別史跡に指定されています。墳形は不明ですが、本来、30m前後の墳丘規模であったと考えられています。内部構造は、切石積の両袖式横穴石室であり、石室の全長は12.5m、玄室は長さ5.1m、幅2.9m、高さ2.8mです。長方形に切り揃えた花崗岩を横積みにし、上石の目地が下石の中央部にくるように均等に割り付けられています。石に直に線刻(模擬線)し、石の目地として表現している箇所もあり趣向を凝らした石室になっています。7世紀後半頃に築造されたと考えられ、安倍倉梯麻呂が被葬者の候補に挙げられています。

【住所】安倍文殊院内(桜井市阿部645)
【TEL】0744-43-0002(安倍文殊院)

安倍寺跡

 安倍寺跡

 安倍寺に関しては、『東大寺要録』に崇敬寺と称し、 安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の建立と記録があります。 伽藍は、 西・東に塔・金堂を配し、周囲を回廊が巡り、その北側後方には講堂基壇と推定される石敷があることから、南面する法隆寺式伽藍配置と考えられます。安倍倉梯麻呂は、百済大寺(吉備池廃寺)造寺司に任命され、大化の改新後は、左大臣を務めた人物で、その没年が649年(大化5年)であることから、創建年代は7世紀中頃にあてられています。現在は国指定を受け、史跡公園となっています。

【住所】桜井市安倍木材団地1丁目
【TEL】0744-42-6005(桜井市立埋蔵文化財センター)

稚桜神社

 稚桜神社

 「日本書紀」に、履中天皇が磐余池で宴を催したところ、季節外れの桜の花びらが杯の中に入ったのでお喜びになり、宮の名前を「磐余稚桜宮」としたと伝えられています。これが、この神社の名前の由来です。
 この「磐余稚桜宮」については、桜井市谷の若桜神社とこの稚桜神社の2つが伝承地となっています。

【住所】桜井市池之内
【TEL】0744-48-3110(桜井市観光まちづくり課)


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〒630-8501 奈良市登大路町30番地
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※交通ルールを遵守し、道路管理者等の指示に必ず従うと共に、各自の体力や時間に応じてご自分の責任で安全にウォークをお楽しみ下さい。
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