永平寺より参禅道場として認可された寺で、大和盆地では、唯一の「行学一致(修行と学問を一致させること)」の学問場としても知られている。現在、「公益財団法人 大和文化研修道場」として、合気道・剣道・空手・書道・茶道等の教室を、幼稚園~大人までを対象に開いている。 奈良時代に創建され、江戸時代には、郡山城主であった本田家がこの地に寺を移し、家臣の菩提寺とした。「縁切り地蔵」として知られる「お艶地蔵尊」が伝わる。 お艶さんは、当時の郡山城の城代家老(※)が江戸詰めをしていた際に世話役だった女性。城代家老が奈良へ帰る際に、箱根の関所で同行を許されず芦ノ湖で入水。白蛇となって城代家老を悩ませた。お艶を不憫だと思った城代家老の正妻が、三松寺住職の導きにより地蔵尊を作ったところ、それ以来白蛇は現れなくなったという。(※)城代家老:江戸時代、城持ち大名の留守中、城主に代わって城を守り、政務を司った家老。