聖徳太子が16歳のとき、飛鳥から来られて、法隆寺建立の馳を竜田川に沿って探しておられました。この折りに白髪の老人が現れて「ここから東に斑鳩が群棲している郷がある。優れた土地である。そこに伽藍を建てなされ。」と告げ、そこは仏法が末永く興隆する地として伽藍建立に適したところであるといいます。太子が白髪の老人にどういう方かとお尋ねすると、「私は龍田山の裾に住み、秋の紅葉を楽しんでいる間に千余年をすごしてしまった。」といったので、太子は「あなたはこの地の守護神なのですね。私が建立する寺をお守り下さい。」とお願いすると、「吾、守護神たらん。」といわれました。この、老人こそが、龍田明神の化身であったといいます。しかし、三郷立野の龍田大社(本宮)は遠いので、斑鳩に龍田神社を祀って、法隆寺を鎮守したと伝えられています。