建国伝承地の陵墓を歩く

  • 建国伝承地の陵墓を歩く
  •  畝傍山周辺には、初代「神武」から第4代「安寧」までの天皇陵が点在し、わが国最大級の群集墳「新沢千塚古墳群」の近くには第28代「宣化天皇陵」や「倭彦命墓」があります。また県下最大の前方後円墳であり、その一部が陵墓参考地となっている「丸山古墳」、推古天皇仮埋葬の陵と考えられている「植山古墳」など、建国伝承の地に相応しい興味深い数々の陵墓を訪ねます。その歴史を紐解けば古代史のみならず、陵墓が決定され整備された近世から近代の歴史を知ることが出来るでしょう。

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神武天皇陵(じんむてんのうりょう)

神武(しんむ)天皇陵

初代 神武天皇畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのみささぎ)。元禄10年(1697年)、塚山、すなわち現綏靖天皇陵に治定されましたが、166年後の文久3年(1863年)現在の地、字「ミサンザイ」(「神武田(じぶた)」とも云う)に治定変えとなり整備されました。明治以降、更に整備が加えられ現在に至ります。広大な陵域を占め、初代天皇陵に相応しい佇まいです。なお、「ミサンザイ」は「みささぎ」の転訛したものですが、ミサンザイが古墳かどうかは不明です。

綏靖天皇陵(すいぜいてんのうりょう)

綏靖(すいぜい)天皇陵

第2代 綏靖天皇桃田丘上陵(つきだのおかのへのみささぎ)。江戸時代には慈明寺町の「スイセン塚古墳」が陵とされましたが、文久3年神武陵が塚山からミサンザイに治定変えとなった後、明治11年(1878年)塚山が綏靖陵として治定整備されました。根拠として「ツキダ」の小字名が残っていたからだと云われています。なお、塚山は径30メートルほどの円墳と考えられています。

安寧天皇陵(あんねいてんのうりょう)

安寧(あんねい)天皇陵

第3代安寧天皇畝傍山西南御蔭井上陵(うねびやまのひつじさるのみほといのへのみささぎ)。阿祢山(あねやま)と云い、江戸時代から安寧陵とされていましたが、文久3年現在地に治定されました。前方後円風になっていますが、古墳かどうかの実態は不明です。御陵の名前になっている御陰井(みほとい)が近くの吉田町の集落内にあります。また、吉田町の鎮守、安寧天皇神社はもと御陵上に鎮座していました。

懿徳天皇陵(いとくてんのうりょう)

懿徳(いとく)天皇陵

第4代懿徳天皇畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごだにのへのみささぎ)。マサゴ谷ともマナゴ谷とも云われます。江戸時代は元畝傍村、現久米町、神宮の森に残るイトクノ森古墳だとされていましたが、文久3年に西池尻町字丸山(マサゴ谷)の現在地に治定されました。古墳かどうかはわかっていません。なお、イトクノ森古墳上に祀られている池田神社の祭神は懿徳天皇です。

孝元天皇陵(こうげんてんのうりょう)

孝元(こうげん)天皇陵

第8代孝元天皇剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのへのみささぎ)。剣池は応神天皇の時代に築かれたといわれています。文久3年の治定で、現在は拡張されて石川池と合体されています。遠くから見ると前方後円墳の様に見えるますが、実態は中山塚古墳群と称する3~9基の古墳と自然の丘を纏めて一つの陵としたものです。

宣化天皇陵(せんかてんのうりょう)

宣化(せんか)天皇陵

第28代宣化天皇身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのへのみささぎ)。全長約138メートルの前方後円墳です。約600基を数える新沢千塚古墳群の中の盟主的存在で、鳥屋ミサンザイ古墳とも呼ばれ、満々と水をたたえた周濠がとりまき、鳥屋池と繋がっています。この古墳の築造年代は、5世紀と云われていますが、もしそうだとすれば、宣化天皇とは年代が少々合わないことになります。この陵も孝元天皇陵と同じく文久3年に治定されました。

倭彦命墓(やまとひこのみことのはか)

倭彦命(やまとひこのみことの)墓

第10代崇神天皇皇子倭彦命身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)。日本書紀の「殉死の禁止と埴輪の起源」で有名な墓で、明治8年(1875年)に治定されました。一辺約85メートルのわが国最大の方墳である桝山古墳を前方後円墳に造り替えたもので、古墳上に鎮座していた春日神社を近くの字御城山に移したことでも知られています。

史跡 丸山古墳(しせき まるやまこふん)

史跡 丸山古墳

日本で6番目の大きさにランクされる全長318メートルの古墳で、奈良県下では最大の巨大前方後円墳です。また、後円部に存在する全長28.4メートルの横穴式石室は、有名な明日香村の石舞台古墳の約19メートルを凌ぐわが国最大のもので、石室内に2基の石棺が残っています。江戸時代は天武持統陵とされていましたが、現在は後円部のみ陵墓参考地として宮内庁の管理になっており、その他は国指定史跡となっています。被葬者の候補は、欽明天皇、蘇我稲目などが挙げられています。

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