緑豊かな大和高原 山田道安ゆかりの郷をたずねて

  • 緑豊かな大和高原 山田道安ゆかりの郷をたずねて
  • 大和高原に位置する天理市の福住町、山田町のあたりは、かつて、闘鶏(つげ)国といわれていました。その歴史は古く『日本書紀』仁徳天皇62年の条に額田大中彦皇子が闘鶏国に狩りに来て、氷室を発見したことが記されています。この地域には、その氷室ゆかりの地が多く、平城京長屋王邸宅跡から出土した木簡を元に復元された古代氷室もあります。山田町は、今では実施しているところも少なくなった農耕儀礼の伝統行事のひとつ「虫送り」が今も行われ、のどかな山里の風景が広がっています。また、奈良市にある東大寺の大仏さまの頭部を修復し、山田岩掛城主だった武将であり、書や絵をたしなんだ文化人でもあった山田道安ゆかりの地でもあります。歴史あふれ緑豊かな大和高原をお楽しみください。

復元氷室(ふくげんひむろ)

復元氷室(福住町井之市)

『日本書紀』仁徳天皇62年の条に氷室の発見から皇室へ献上するまでが記されています。額田大中彦皇子(ぬかたのおほなかつひこのみこ)が、闘鶏(つげ)に狩りに来られたとき、野中に光るものを発見され、闘鶏稲置大山主(つけいなきおほやまぬし)に問われたところ、天然氷の「氷室」であることがわかりました。皇子はその氷を持ち帰り天皇に献じられたところ、いたく歓喜され、以後、献上するようになりました。また、昭和63年の平城京跡長屋王屋敷発掘調査では、6万点にもおよぶ木簡が出土し、その中に「都祁氷室」「都祁氷進始日」など氷室の造り方や長屋王邸へ運んだ人名なども記されていて、福住の氷室の存在が明らかになりました。その資料をもとに地元の皆さんにより古代氷室が復元されています。

氷室神社(ひむろじんじゃ)

氷室神社(福住町浄土)

全国的にも珍しい「氷の神」を祀った神社。冬にできた氷を山に掘った穴に埋め夏に取り出して使用しました。その氷を埋めた穴を氷室といいます。御祭神は、闘鶏稲置大山主命・大鷦鷯命(おほさざきのみこと)・額田大中彦命が祀られ、社伝によると、允恭天皇の時代に創建され、古くは福住氷池の宮、または都祁氷室や福住氷室とよばれ、献氷の根元となるところゆえ、朝廷からも篤い崇敬を受けていました。現在も毎年、7月1日に催される「献氷祭」は、旧暦の6月1日に氷が献上された史実にちなんだものです。例祭は、「塔の森」(奈良市)で、古式に従い行われます。また、10月の第2日曜日には、秋祭りが行われ、氷室神社から氷室跡のある御旅所へ古式による神輿渡御が行われます。今も福住には、福住中学校の裏手や福住小学校の裏手などに、古代の氷室跡が残っています。

下之坊の婆羅門杉(しものぼうのばらもんすぎ)

下之坊の婆羅門(バラモン)杉(福住町別所)

永照寺下之坊にある推定樹齢800年、幹周り約7メートル、高さ約30メートルの大木。しかし驚くのはその大きさではなく威容です。生命の力をそのまま解放したかのような太く、山門の代わりの如く天に伸びる枝振りは見るものを黙らせる迫力があります。1744年にここ普光山永照寺は火災にあいましたが、それを乗り越えたというのもうなづけます。この2本の杉は、当寺ご本尊、十一面観音像が聖武天皇と婆羅門僧正の合作と伝えられる寺伝にちなみ、婆羅門杉(ばらもんすぎ)と呼ばれています。

蔵輪寺(ぞうりんじ)

蔵輪寺(山田町中山田)

真言宗高野山派の末寺です。大和高原の山の中に建つ、婆羅門僧正が建立したと伝えられている。東大寺の大仏修理に深く関わった山田道安の菩提寺としても知られています。道安は永録6年(1563年)から10年間ここに居住し、絵画や彫刻などにいそしみました。本堂の裏には道安親子の墓や山田氏一族の墓があります。また、近くの山田岩掛城跡の山肌に建つ石碑は、奈良・東大寺の大仏頭部を修復した道安の功績を讃え東大寺から贈られた「道安遺跡」の記念碑が建てられています。その石碑と隣り合う岩肌には、道安作といわれる不動明王磨崖仏があります。

山田公民館(やまだこうみんかん)

山田公民館(山田町下山田)

昭和10年に地元山田町の人たちが木材を出し合って建てられた元山田小学校校舎です。現在は山田公民館として使われています。のどかな大和高原の山を背に、瓦屋根と木でできた「昔懐かしい田舎の校舎」が横一直線に伸びています。入母屋づくりの玄関には、かつて授業開始などを知らせていたベルが吊られています。建物の中に入ると、長い木の廊下がつづいています。

索道跡(さくどうあと)

索道跡(山田町下山田)

大和高原は物資輸送が困難であったことから、1919年~1952年まで、京終駅(奈良市)から小倉駅(奈良市:旧山辺郡)まで延長約17キロメートルの策道(ロープウェイ)が通っていました。京終駅からは、大豆、にがり、石炭等が運ばれ、小倉駅からは、凍豆腐、米、木材等が運ばれ、凍豆腐(高野豆腐)加工業の発展と共に活況を呈し、地域の発展に大きく貢献しました。しかし戦後の製氷会社の多量生産、自動車輸送の普及によってその役割を終えることとなりました。

伝統行事「虫送り」(むしおくり)

伝統行事「虫送り」(山田町)

毎年6月16日の夕方から行われる農耕儀礼の伝統行事のひとつ「虫送り」は、村の菩提寺である蔵輪寺での祈祷会からはじまります。上・中・下(山田)に祈祷札が一対ずつ渡され、その祈祷札を各大字に持ち帰り、一家から一人出て集まって、本堂の灯明の灯を各自のたいまつに移して一列に並び町の田の端から端まで鉦や太鼓を鳴らして虫送りの歌を歌って練り歩きます。町はずれの田の端で「害虫駆除五穀豊穣」の祈祷札を竹の串に挟み、最後は川でたいまつを積み重ねて燃やします。虫送りは虫の祈祷ともいい、農家が殺生している虫を供養し稲の害虫を遠くへおくりだす祈願でもあります。夕刻にたいまつをもって練り歩く様は、一行の炎が水田に映え妖艶な美しさがあります。

福住氷まつり(ふくすみこおりまつり)

福住氷まつり(福住町井之市、福住小学校)

「福住氷まつり」は氷室を復元し、当時と同じ環境で氷を保存し、そして取り出す村おこしイベントです。氷室とは、氷を貯蔵するための部屋を指します。天然の氷を夏まで貯えておくために設けられた施設で、夏でも涼しい山中の地面に穴をあけ、茅などで覆ったものです。例年は2月11日の「建国記念日」に氷を収め、7月の第3月曜日「海の日」に取り出されます。参加者が順に氷室の中へ入り、残っている氷の見学をし、その後、氷の取り出しが行われ、子供達の手によって道路まで運び出されます。運び出された氷の一部は荷車に乗せられ、これもハッピを着た子供達によって福住小学校まで引かれます。終点の福住小学校では氷の到着後、バザーや模擬店、氷の残量当てクイズの表彰式などが行われ、小学校が賑やかな「市」に変わります。大人から子どもまで終日、家族連れで楽しむことができる行事です。

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