室町時代から戦国時代の武将。大和国龍王山城主。最大領域は十市郡・式上郡等大和国北西部を占め、遠く伊賀国までその領域を広げたそうです。推定石高は6万石。遠忠は、武将として優れているばかりでなく、書道、和歌にも通じた文武兼備の文化人で、十市氏の最盛期を築いたとされています。和歌のひとつに、「えにしあれや 長岳寺の 法の水 むすぶ庵も ほど近き身は」と、長岳寺の山門前に歌碑が建っています。また、天理市トレイルセンター入口付近にも 「天下おさまる時を朝夕の 月にも日にも先いのる哉」の歌碑が建っています。歌集として「十市遠忠百首」、「百番自歌合」、「百五十番自歌合」など、数々の名歌集があります。また、藤原定家撰の「拾遺百番歌合」など貴重な歌書の写本など、その創造は今も高く評されています。