典型的な帆立貝形古墳として著名な古墳。墳丘全長は130メートルで、後円部直径104メートルに対し、前方部長30メートル、幅52メートルと前方部が極端に短く低平になっています。後円部には別に造り出しがあり、家形埴輪などが出土しています。また、墳丘の周囲には周濠と外堤が巡っています。5世紀前半の築造。(国指定史跡)―地名説話―応永15年(1408)にこの辺りで箸尾為妙と筒井順覚の戦いがありました。この合戦の際に犠牲になった箸尾氏方の少女が小山に葬られたことから、その場所を「乙女山」と呼ぶようになったと伝えられています。また、あたり一面が両軍の兵士が流した血で染まったことからつけられたという「赤坂」という地名も残っています。