金剛峯寺は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられた、高野山全体を指す総称でした。その後、文禄2年(1593)に豊臣秀吉の亡母の菩提を弔う為に建立された青厳寺(せいがんじ)が、明治2年(1868)に興山寺(こうざんじ)と合併。以後、寺院を指す名称となりました。寺内には様々な襖絵や我国最大の石庭などが設けられ、広大さと優美さを有しています。また、秋には大伽藍へ続く蛇腹路(じゃばらみち)が紅葉のトンネルとなり美しく彩られます。来る平成27年(2015)は高野山開創1200年に相当し、記念大法会を執り行います。