各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第14回 作家・村上ナッツ氏 & 漫画家・つだゆみ氏

子どもたちに、自分の国の神話や独自の風土・文化をぜひ知ってもらいたい

作家・村上ナッツ氏 & 漫画家・つだゆみ氏

日本の建国神話をわかりやすく伝えたい

奈良県主催の「古事記出版大賞」で太安万侶賞を受賞された『日本を読もう わかる古事記』ですが、これを書かれた最初のきっかけは何だったんでしょう。
村上 『古事記』編纂1300年記念の前の年、小学校の教科書に『古事記』の物語りが載りました。意外と知られてないのですが、戦後ずっと『古事記』は小学校で読んでこなかったわけです。私も3人の子育てをするなかで、日本の建国にまつわる神話について、子どもたちに読み聞かせられるような絵本があまりなくて、ギリシャ神話やほかの国の歴史は知っているのに、自分の国の神話を知らないままでいいのかと感じていたんです。そういう危機感から、『古事記』の物語を紹介したいと思っていました。
今回、漫画と解説文という形をとられたのは?
村上 私は、演劇をやっていた流れで、古典の朗読をよくやっているんです。『古事記』はいちばん古い書物、文芸の原典のようなもの。早稲田の演劇科のころから、歌謡の研究などを通して、ずいぶんこだわっていました。でも、なかなか一般にはなじみがないものだし、どういうふうに伝えればいいんだろうと思っていたんです。こういうふうに漫画で伝えるというのは、すごくいい方法ですね。
つだ 漫画ならわかりやすくて、みんなに手に取って見てもらえる、というのがあります。ただ、みなさんがイメージされる漫画ってストーリーテリング、つまり物語だと思いますが、そういうスタイルで『古事記』を最初からきちっと漫画にしていくと、膨大な巻数がいるんですね。
「雑学の内容を漫画でわかりやすく」というのが私のテーマでして、以前に世界の神様について紹介する本を、『わかる古事記』と同じ構成で作ったとき、この方法が自分にぴったりだと発見したんです。漫画だけだと物語を追うのにページがいるところ、解説と脚注があるので、漫画はダイジェストで済む。漫画と解説文とが補完しあって、物語のエッセンスを味わえるわけです。
お二人の制作作業は、どのように進めていかれたんですか?
村上 私がまず文章を書きます。『わかる古事記』は、すごくうまくできてるんですよね。『古事記』は上・中・下巻の3部構成なんですけど、本当は下巻だけがもう少し長いんです。その長くて読むのが辛くなってくるあたりで、興味が途切れないよう、下巻部分の途中からゆるやかなダイジェストになっていて、あきずに読み通せるようになっています。
物語のところを漫画化してもらう一方、私が脚注を書きました。実は本に載っている3倍ぐらい脚注があったんですが、監修の村田右富実先生が見て、「これは諸説あって言いきれない」っていうのは、どんどん省かれて…。
つだ トンデモ説は全部カットされて、半分くらい削られたんです。
村上 「へー、こういう説があったのか」って引きずられそうになるんですけど、「妄想はだめです」って引きとめられて。そこは、章ごとのコラムで思いっきりはじけてます(笑)。

執筆するなかで知った『古事記』の世界観


本作は、大阪府立大学の村田右富実先生が監修でおおいに関わられているんですね。
つだ 最初に『古事記』の世界を描くときに、高天原が天上にあって、葦原中国(あしはらのなかつくに)が地上、根の堅州国(ねのかたすくに)が地下にあってと、単純に「天上・地上・地下」ってイメージで描いたんです。ところが村田先生に、「今は、『古事記』の世界の並びは上下ではなく、水平というのが定説だ」と指摘されて。それは新鮮でしたね。「ガーン。それ早く言ってよ」って。3回くらい描きなおしさせられてるんで(笑)。
それと、イザナギが死んだイザナミに会うところは、黄泉比良坂(よもつひらさか)を下がって死の国(根の堅州国)へ行くのでなく、山の上に上がって行くというのも、ものすごくびっくりしました。死の国が地下にあるっていう世界観は、上代のだいぶ後になってからのものなんですって。言われてみれば、山の向こうに死の世界があるというほうが、イメージしやすいかも。
村上 山の向こうっていうか、生と死が分かれていない感じ。その境目をどこではっきり認識するのかが、今の感覚と古代とで違う感じですよね。こちらからは行けなくても、死者は生きている人のところに訪れることができて、来ないようにお供えをするというように、今と感覚が違うっていうことじゃないでしょうか。
つだ そういったことを村田先生に教えられて、『古事記』の世界観が、ものすごくしっくりきました。

村田右富実先生は国文学の先生なので、言葉の意味などについても詳しいですよね。
村上 そうなんですよ。たとえば、イザナミがイザナギに「『よもつへぐい』しちゃったから、死者の国にいなきゃいけない」みたいなことを言うところ。私たちにしてみれば「えっ、『よもつへぐい』ってなに?」みたいな。そういう言葉の解説をしてくださったり、「ことどわたし」は大事なことを渡すという意味だと教えてくださったり。黄泉比良坂で、大きな岩をはさんでイザナギがイザナミに「離婚します」と告げる場面で出てくる言葉です。
つだ 上代のもともとの言葉の響きもいいんだなって。『古事記』を原文で読むのもいいですね。
村上 『古事記』を書き下し文にすると、原文でもほとんど意味がわかります。だから、稗田阿礼が語ったときそのままの言葉で、みんなに聞いてもらいたいなって。今度、「聞く古事記」っていう催しはどうですか?

奈良県で『古事記』の朗誦をする企画があります。『古事記』の好きな部分を声に出して読んでもらおうという大会です。
村上 『ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート』ご存知ですか?『オペラ座の怪人』の作曲家、アンドリュー・ロイド=ウェーバーのミュージカルなんですけど、旧約聖書にあるヨセフの物語で、イギリスでは子どもたちが学校で必ず演じたことがあるという、とてもポピュラーな作品です。一度でも演じた経験があると、ただ物語を読んだだけじゃなくて、なじむというか。声に出すというのは、とても大事なことです。『古事記』の朗誦大会にも、子どもさんが参加したら、かわいいでしょうね。

『古事記』を通して日本の風土を再認識する

最初に村上ナッツ先生が「危機感」とおっしゃっていましたが、『古事記』成立の背景にも、大陸の文化を取り入れながら、日本のアイデンティティを求める危機意識のようなものがあったようですね。
村上 『古事記』に親しむと、日本の風土や歴史が好きになりますよ。たとえば大田田根子(おおたたねこ)のところでは、どんなに疫病が流行して死に絶えるほどになっても、また立ち上がるし、大国主にしても、治水の事業で荒れていた土地を豊かにしていく。たいへんな災害にあっても明るい心で立ち直る、そういう文化みたいなものを感じられていいですね。
黛敏郎作曲のオペラ『古事記』が2011年11月に東京で上演されたときのことですが、東日本大震災のあとのことで、東北から来た方が、「こういう風土で、たいへんなことがありながらやってきた歴史があったんだと励まされました。私も生きててよかった」と言っておられました。
つだ そのオペラのときに聞いた話ですが、イザナギ・イザナミが大八島国を国生みするくだり、どろどろのところに土地があるわけですよ。それって地震ですよね。地震の国というイメージがこの国と結び付いていることに、すごく合点がいったんです。
『古事記』にはないですが、『日本書紀』には地震の記述が多いんですよね。
村上 乾期のバリ島から飛行機で日本に戻ってきたときのことですが、日本は「葦原中国」だって感じるんですね。バリの、からっとした空気でブーゲンビリアのように派手な色あいのところから、蒸気がたちこめる、淡い色合いの中に葦が生い茂っている、みたいな。『古事記』に「うましあしかびひこじのかみ」という生命の源の神が出てきますが、あしかび=葦の芽というのは、1日に10センチくらい伸びるんですって。春になると緑がぐんぐんと伸びていく生命力が、神様の名前に表されている。「葦原中国」って言葉にもそういう意味があるんだって。ほかの国にはない風土や文化のある、すてきな国なんだよって、そういうのを子どもたちに知ってもらいたい~って思いでいっぱいです。
子どもたちに浸透していくためには、イベントなどがあったほうがいいと思うんですけども、単発のイベントでは印象に残らないのでは、という懸念もあります。
村上 本を紹介する「ビブリオバトル」や、図書館内でのイベントなどはどうでしょう。著作権フリーの空間イベントとして非営利で何か作品を上演したり、読み聞かせをしたり。ボランティアによる読み聞かせにとどまらず、もう少し印象に残るものがいいのですが。たとえば、私は美術館や画廊のようなスペースでよく朗読をするんですけど、そういった絵と朗読のコラボレーションなども、どんどんやっていってほしいですね。
つだ 全国規模でたくさんやれば、きっと浸透していきますよ。
『わかる古事記』のような本も活用して、子どもたちに『古事記』の魅力を伝えてゆければと思います。本日はどうもありがとうございました。
むらかみ・なっつ
プロフィール
愛媛県出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒、シェイクスピアシアター出身。1996年漫画原作と絵物語でデビュー。漫画原作、舞台の脚本、鉛筆画などを執筆。

つだ・ゆみ
プロフィール
愛媛県出身。広島大学文学部卒。1990年4コママンガデビュー。時事ネタマンガ、雑学マンガ、似顔絵を得意にしている。村上ナッツ氏とは高校の同級。