記紀・万葉講座

「ヤタガラス伝説と吉野・宇陀」

記紀・万葉リレートーク 第14回 東吉野村

2013年3月17日(日) 13:30~
会場・東吉野村住民ホール

講師・関西大学教授 西本 昌弘(にしもと・まさひろ)氏
演題・「ヤタガラス伝説と吉野・宇陀」

チラシにリンク


 

概況

平成25年3月17日に東吉野村住民ホールにて、第14回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
13時30分から開演し、東吉野村長の挨拶の後、「ヤタガラス伝説と吉野・宇陀」と題し関西大学教授 西本 昌弘氏にお話しいただきました。
遠方にもかかわらず、他の会場にもご参加されている方の顔が多々ありました。
来場者の中には古事記に精通していらっしゃる方がかなり多くいらっしゃることが見受けられました。


 東吉野村長の挨拶

 

講演の概要

「神武東征伝説はいわば日本の初代天皇の誕生について書かれたものである。日本書紀では紀元前667年に、神日本磐余彦(神武天皇の元の名前)が宮崎の日向を出発し東征をはじめたとある。現在の東大阪の日下辺りまで来たとき、大和北部の豪族の抵抗にあうが、そこで日の神は太陽の方向に向かって進撃すべきではないと悟り、紀伊国から熊野の方に回って、熊野経由で大和に入ろうとする。その際、非常に険しい道で迷子になったが、天照大神が遣わしたヤタガラスが一行を先導したという。ヤタガラスの“タ” は尺度のことで頭が1m半ぐらいの大きなカラスということになる。その後、紀元前660年の正月の元日に橿原宮で即位し、神武天皇が誕生(日本国の誕生)する(正月の元日は太陽暦で2月11日。現在の建国記念日)。日本書紀ではヤタガラスを遣わせたのは天照大神であったが、古事記は高木大神であり、他にも両者は熊野からのルート等に違いが見られるが、大台ケ原の裾を縫って、東吉野辺りから宇陀へのコースをとったとみるのが妥当であろう。

日本書紀は、主殿寮の鴨氏(京都の賀茂神社を祀っている氏族)が、このヤタガラスの子孫であると述べている。
主殿(とのもり)とは朝廷の家政婦のような役割で、天皇が使う輿や湯・火を管理した。大嘗祭(天皇の即位儀礼)では、鴨氏は一番先頭で火を持って先導する役割(秉燭)を担った。真っ暗闇で松明を持って先導する姿はヤタガラスとだぶり、それがヤタガラス伝承になって神武東征伝承に組み込まれていったという説がある。

元旦の朝賀という儀式で使用される7本の旗のうち中央の銅烏旗には、太陽の中に3本足の烏が描かれている。ヤタガラスを象徴するものであり、この3本足の烏は太陽の精だと文選という中国の文献に書かれている。神武は日の神の子、太陽の精であるヤタガラス、出発地が日向など、神武東征伝説はどこを取っても太陽に関する信仰に溢れている。日出処、日本(ひのもと)はもともと一般名詞であったが、太陽と自分の国との関係を非常に意識していたことを考えると、神武東征伝説やヤタガラス伝説は、非常に日本という国号の成立とリンクする話ではないかと思う。この東吉野や宇陀は、橿原神宮から見ると、ちょうど太陽が上がってくる方向になる。まさに日出づる地である」。


 会場・講演の様子


【講師プロフィール】
西本 昌弘(にしもと・まさひろ)/関西大学教授
1955年生まれ。1979年大阪大学文学部史学科卒業。
1987年同大学大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。宮内庁書陵部勤務など経て、現在、関西大学文学部教授。
主な編著書に『新撰年中行事』『日本古代の王宮と儀礼』『日本古代儀礼成立史の研究』などがある。