記紀・万葉講座

「ヤマトの王の始まり物語―神武・崇神記を中心に―」

記紀・万葉リレートーク 第11回 安堵町

2013年3月3日(日) 13:30~
会場・安堵町立会館トーク安堵カルチャーセンター多目的ホール

講師・法政大学教授 坂本 勝(さかもと・まさる)氏
演題・「ヤマトの王の始まり物語―神武・崇神記を中心に―」

チラシにリンク


 

概況

平成25年3月3日に、安堵町立会館トーク安堵カルチャーセンター多目的ホールにて、第11回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
13時30分から開演し、安堵町長の挨拶の後、「ヤマトの王の始まり物語―神武・崇神記を中心に―」と題し、法政大学教授 坂本 勝氏にお話しいただきました。
関西方面で開催される先生の講演会はめずらしく、350名近いご来場がありました。


 会場入口 多くのファンが来場した

 

講演の概要

「今日は文学の立場から『古事記』の神武天皇、崇神天皇の話を紐解いていきたい。そもそも『古事記』、『日本書記』には神武や崇神という名前はない。初代天皇である神武は神倭伊波礼毘古、第10代目である崇神は御真木入日子という名前で登場する。

まずは神武であるが、最初は南九州の日向(ひむか)にいたとされる。それが天下を治めるために東(ひむかし)に向かい、最終的には橿原宮に落ち着いたという。神武が東をめざしたのは、日の出の位置に向かって身を処すという普遍的な考え方と、天照の直系の子孫(太陽の神の子孫)だという意識が強く働いたと考えられる。ただし、このルートはかなりの遠回りコースで、紀伊半島沿いを南下して、紀伊国の南端から上陸し、険しい熊野の自然に阻まれながら都とすべき地をもとめた。その間、様々なピンチが訪れるが、天照や高木神に助けられ、なんとか一行は吉野に入る。そこで贄持の子、(吉野川の鵜飼)、井氷鹿(光る水の神)、石押分之子(岩から生まれた男)など、大地や自然の化身のような土着の人たちが服属するようになる。大伴、久米氏などもその戦いに従った。神武は荒ぶる神、従わぬ者どもそのように平定し、めでたく即位したという話なのだが、そこには、大地や自然との関わりが描かれている。それらは平定すべき対象ではあるが、神武の側も本来は、そうした大地や自然と繋がる 存在ではなかったか。たとえば、彼の名の伊波礼毘古は日本書紀では磐余彦(いわあれひこ)と表記され、その名の意味は岩から生まれた男あるいは岩群れの男という意味になる。つまり天皇家もかつては岩や大地と深くつながっていて、それを誇らしく思う時代があった。

しかしそこから徐々に太陽の威力を神話的な権威として土着の人々に優越する超越的な存在へと自己転化していったのだと考えられるのではないか。
崇神も、すばらしい樹木(御真木)の意を名に含んでいる。神倭伊波礼毘古が岩から生まれた大地の男なら、崇神は深い樹木生い茂る世界に入ってきて、初代が切り開いた王の権威を国家システムにまでつくりあげたと解することができる。纏向遺跡を崇神の都だと仮定するなら、3世紀ごろに深い森が切り払われ、その地に新たな都市が生まれたとも考えられる。この安堵町一帯はそうした都市と国家の公的祭祀と関わる場所だったのではないか。神武と崇神の物語には、かつて自然と共にあった人々が、日の御子としての超越的な権威を背景に、原始未開の「自然」の世界を超える新たな王権と国家の文明世界を作り出した歴史が刻まれているのだと思う」。


 会場・講演の様子


【講師プロフィール】
坂本 勝(さかもと・まさる)/法政大学教授
神奈川県鎌倉市生まれ。
法政大学文学部卒業。専修大学大学院を経て、現在法政大学教授。専攻は上代文学。
著書の『はじめての日本神話ー「古事記」を読みとく』(ちくまプリマー新書)は、奈良県主催の平成24年度古事記出版大賞において「しまね古代出雲賞」を受賞。