「万葉に詠われた生駒―越境する万葉びと―」
記紀・万葉リレートーク 第10回 生駒市
2013年2月24日(日) 13:30~
会場・生駒市たけまるホール(旧中央公民館)
講師・大阪府立大学教授 村田 右富実(むらた・みぎふみ)氏
演題・「万葉に詠われた生駒―越境する万葉びと―」
チラシにリンク
概況
平成25年2月24日に、生駒市たけまるホール(旧中央公民館)にて、第10回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
13時30分から開演し、生駒市長の挨拶の後、「万葉に詠われた生駒―越境する万葉びと―」と題し、大阪府立大学教授 村田 右富実氏にお話しいただきました。
村田先生が監修された『マンガ遊訳 日本を読もう わかる古事記』は、奈良県主催の平成24年度古事記出版大賞において、「太安万侶賞」を受賞されており、本の販売も行われました。
講演の概要
「生駒山は大和国と摂津国の境界に位置する標高642mの山である。奈良時代、平城京と難波宮を結ぶ生駒越えのルートはいくつかあったと思われるが、現在、確定できるものはない。
今日は、この生駒(山)を取り上げた歌をいくつかの切り口でみていきたいが、その前に生駒が最初に登場する記事を見ておく。『日本書紀』の神武即位前紀に、神武天皇の軍勢が生駒山を越えて大和に入ろうとした記事、これが生駒山に関する初出である。また、同じく『日本書紀』には、蘇我入鹿に襲われた山背大兄が生駒山のなかに逃げ隠れたという記述もあり、上代において生駒を越えるべき境界、隠れると見つけられない空間として捉えられていたことがわかる。
この点を踏まえて、万葉歌を見てゆきたい。たとえば、朝に平城京を出発し生駒山を越え、夕方になって大阪側に出たときに見えてくる景色(海一面が夕日で輝いている)を詠ったものがある。また、天平八年(740)の藤原広嗣の乱を契機に聖武天皇は恭仁京に都を移し(745年には平城京に還都している)、その後、平城京が荒廃の一途をたどったことを嘆く歌には、烽火(のろし)の置かれた場所として生駒山が歌われる。さらに、春の春日山と秋の生駒山が平城京からの美景としても歌われている。そしてまた、生駒山は、自分と愛するものとを隔絶する山として描かれている歌がある一方で、生駒山を神々しい山と讃美している歌もある。
【講師プロフィール】
村田 右富実(むらた・みぎふみ)/大阪府立大学教授
1962年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。同大学博士後期課程単位取得退学。博士(文学)(北海道大学)。
大阪女子大学勤務を経て現職。萬葉学会編輯委員。美夫君志会常任理事。上代文学会理
事。上代文学、とりわけ『万葉集』を中心として、和歌の成立などを研究テーマとする。
監修の『マンガ遊訳 日本を読もう わかる古事記』(西日本出版社)は、奈良県主催の平成24年度古事記出版大賞において「太安万侶賞」を受賞。