記紀・万葉講座

 衣服制度の成立と日本の冠位制・官位制

日本書紀を語る講演会 第6回 河合町

2017年1月28日(土)13時00分~14時40分
会場・河合町中央公民館
講師・追手門学院大学 地域創造学部教授 武田佐知子氏 
演題・衣服制度の成立と日本の冠位制・官位制


 

講演の内容

 幼い頃によく母に連れてこられた私の原点であり、今、古代の服飾史の研究に携わっている大きなきっかけとなった。古代の服飾史を紐解くということは、単にファッションの観点ではなく、国家形成の流れを探る指標となる。国家成立の要素には官僚制の形成、軍隊の形成、税制の形成などが挙げられるが、これから官僚制と服飾史の話をすすめたい。

 前近代の社会では、官僚の身分を表す衣服の制度が構築されていた。そのことから、衣服の制度を検討することで国家の成り立ちを知ることができると考える。その手がかりを記紀に求めると、古事記下巻、第21代雄略天皇の葛城山と一言主神の説話にある。「紅の紐に青摺の衣」を着た、多くの官人を連れて葛城山に登った雄略天皇は、自分たちと同じ装束をした一言主神に出会う。恐れて畏まった雄略天皇は、官人たちの装束を一言主神に献上したという話である。この雄略天皇という人物は中国の書物、宋書倭国伝の倭王武に比定されており、それによると、倭王武は数多くの国を平定したと記述されている。その記述を裏付けるかのように埼玉県の稲荷山古墳と熊本県の江田船山古墳で、雄略天皇の和名であるワカタケルと読むことができる銘文の刻まれた2本の鉄剣が出土された。すなわち、雄略朝の列島支配は広く、熊本から埼玉まで及んでいたということである。ところで、一言主神の説話に出てきた百官人が着ていた装束について、私は、大王が百官人全員に同じ衣装を着させたという点に注目したい。記紀によると、第20代安康天皇の時代、大泊瀬皇子(雄略天皇)への婚約の品として献上された押木玉鬘(おしきのたまかづら)という豪華な冠を使いである根使主(ねのおみ)が自分のものにしてしまう。しかし、後に呉国の饗応役に指名された際、権威を示すために玉鬘を身に着けて現れた。これが原因で根使主は玉鬘を着服したことが露見し、雄略天皇に殺されてしまう。また、磯城大縣主の建てた鰹木(大王家の殿舎の指標)を上げた家を焼かせるなど、雄略天皇の時代は、大王権が形成されるにしたがい、一種の官僚の身分標識が芽生え始め、やがて衣服にも反映されていくのであるが、大王権に拮抗する権威の存在も強く意識されていた。そのような状況が、一言主神の説話に体現されたのであろう。ただし、百官人は一律に同じ服を着ていたといたという点は、支配者相互の序列まで表示するものにはなっておらず、垂直的な上下関係は設定されていない段階だったと推測される。そうした中、画期として挙げられるのが、第33代推古天皇の時代に成立した冠位十二階である。

 冠位十二階は徳・仁・禮・信・義の大小12階を色によって、垂直的な上下関係が設定され、次の七色十三階冠では、色に加え、冠の素材で等差を表した。後の大宝令では、序列を1位から初位までを30階に定め、数値で等差を表すこととなる。冠位十二階の12色は、通説では紫・青・赤・黄・白・黒の6色とその濃淡で12の等差を表したとされている。しかし、私は当時の冠の形状は、袋状の帽子のようなもので、その帽子の色と縁の色で12種の区別をつけたのではないかと考えている。3世紀前半の赤坂今井墳丘墓から出土された頭部装飾を復元したところ、はちまき状の布に勾玉の装飾が施されているものであった。この、はちまき状の頭部装飾、いわゆる鬘(かづら)を袋状の被りものに施されたではないだろうかと考えている。つまり、冠位十二階や七色十二階冠といった冠位制の冠に縁をつけたのは、従来の鬘が持っていた役割を新しい冠位制に取り込んだのではないかと思うのである。

 大織冠は七色十三階で設定された最高冠位であり、唯一、中臣鎌足に与えられた。1934年大阪府茨木市で発見された阿武山古墳の夾紵棺(きょうちょかん)に埋葬されていた遺体は金の糸を使った玉枕に敷かれていたことから、被葬者は相当に高貴な人物であると予想された。レントゲン撮影で分析したの結果、頭部まわりの金糸の長さが100m以上にわたり頭頂部で折れ曲がっていることが解明され、これは帽子や冠の類であり、織冠であることが断定され、また遺体の損傷箇所や埋葬場所などが文献と符合する点もあることから、被葬者が中臣鎌足の可能性があることが判明した。また、2016年12月、鳥取県の青谷横木遺跡から複数人の幞頭(ぼくとう=帽子のような被りもの)に裳(女性がはくスカートのような衣服)をはいた人物画が描かれた木板が発見された。報道では女性画と言われているが、幞頭は一般的には男性が被るものであり、また、隋書倭国伝に当時の服装に関して、男性もスカートをはいていたと思われる記述があり、木板の人物は男性の可能性もあると私は考えている。

 このように古代の服飾を紐解くことで、当時の文化はもちろんのこと、国家の成り立ちを深く知ることができるのである。

河合町1


河合町2

【講師プロフィール】
1948年京都生まれ。大阪大学名誉教授。専門は日本史学・服飾史・女性史。大阪外国語大学教授(1997年)、大阪大学理事・副学長(2007年)を経て現在、追手門学院大学地域創造学部教授。おもな著書に『古代国家の形成と衣服制』(吉川弘文館1984年)、『信仰の王権 聖徳太子』(中公新書1993年)、『衣服で読み直す日本史』(朝日選書2000年)、『娘が語る母の昭和』(朝日選書2000年)、『太子信仰と天神信仰』(思文閣出版2010年)、『交錯する知』(思文閣出版2014年)、『いにしえから架かる虹』(いりす・同時代社2014年)などがある。サントリー学芸賞(1985年)、濱田青陵賞(1995年)、紫綬褒章(2003年)を受賞。