記紀・万葉講座

聖徳太子と日本人

日本書紀を語る講演会 第1回 三郷町

2016年11月5日(土)13時00分~14時40分
会場・三郷町文化センター 文化ホール
講師・奈良県立図書情報館 館長 千田 稔(せんだみのる)氏
演題・聖徳太子と日本人


 

講演の内容

 聖徳太子没後、1400年の大遠忌にあたる2021年に向けて我々日本人が聖徳太子をどのように思い、信仰してきたのかを、聖徳太子の出自や実像などを『日本書紀』を中心に紐解く。

 聖徳太子の父方、母方の祖母はともに蘇我稲目の娘であり、そうした濃い血統が聖徳太子という優秀な人物を生み出したと考える。しかしながら、『日本書紀』には聖徳太子の生年の記載がなく、他の書物にも572年と574年という2つの説が挙げられ定まっていない。『日本書紀』用明天皇即位(聖徳太子の父)前紀(586年)には、厩戸皇子、豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王などたくさんの呼び名が記載されており、これは聖徳太子が様々な地域で親しまれ、信仰されてきた証である。『日本書紀』推古天皇元年(593年)に聖徳太子の出産の様子が記載されているが、その内容がキリストの出産と酷似しており、久米邦武氏などは唐に伝わっていたとされるキリスト教ネストリウス派の影響を受けたのではないかと指摘されている。しかし、もしそうであれば、『日本書紀』にはキリスト教に関する記事がもっと見られるはずであるし、キリスト教関連の遺物も発見されていないことから、偶然の一致であると思われる。また、鎌倉時代の橘寺の僧である法空の『上宮太子拾遺記』には「橘寺東南の辺り相承田地の文書に、今に厩戸の号あり」と記されているが、現在、厩戸の字名はなく、聖徳太子の生まれた場所についてはよく分かっていない。

 十七条憲法の第一条「一に曰く、和を以って貴しとし、忤ふることなきを宗とせよ」。 この一文が我々日本人に多大なる影響を与えてきたことは間違いない。我々は人付き合いには和が肝要であると自覚している。ではなぜ、聖徳太子はこの条文を一条に掲げたのか。それは、蘇我馬子の妨害により当時の政治の中心である飛鳥に宮殿を持てなかったことと関係があると考える。故に、聖徳太子は斑鳩に仏都を築いたのであろう。

 推古29年、聖徳太子の死去の記事には非常に多くの人々がその死を悲しんだと記載されている。表現は大袈裟ではあるが、多くの人々に慕われていたことは十分に読み取ることができ、こうして聖徳太子信仰というものが出来上がったのであろうと考えられる。

 聖徳太子の肖像画とされる唐本御影。これをもとに聖徳太子は旧一万円札をはじめ、7回にわたり紙幣に採用されており、日本のお金のシンボルであった。日本銀行券に採用された理由として、①国内外に数多くの業績を残し、国民から敬愛され知名度が高い。②歴史上の事実が実証でき、肖像を描くためのしっかりとした材料がある。という2点が挙げられる。また戦後、聖徳太子の肖像を紙幣に使用することに難色を示したGHQに対し、当時の日銀総裁の一萬田氏は「和を以て貴しとなす」と定めた聖徳太子は平和主義者の代表であると説得し、紙幣に限らず日本人の平和のシンボルとされてきたのである。

 しかし、1982年、東京大学史料編纂所長であった今枝愛真氏が唐本御影は聖徳太子とは関係の無い肖像ではないかとの説を唱えた。唐本御影の掛け軸には、聖徳太子とは関係のない「川原寺」と読める墨痕があるというのがその主張である。このことから、聖徳太子虚構説が広まることになるのだが、近年では「川原寺」とは読めないのではないかということや、元々は法隆寺に保管されていたものという見解がなされている。また、武田佐知子氏の「信仰の王権聖徳太子」による、平城京より発掘された楼閣山水図木簡に描かれている男性貴族の姿が、唐本御影の聖徳太子の衣装や木簡を持っている姿に似ているという点からも、唐本御影は奈良時代に聖徳太子を想像して描かれたものであろうとされている。

 聖徳太子虚構説の理由のひとつとして聖徳太子信仰があげられる。信仰イコール架空のものという論説であるのだが、私は生前に立派な人物であるからこそ、人々は死後も敬慕の念を絶やすことなく思い続け、それこそが信仰されるに至る人物が実在したという証拠であると考える。三島市にある曲尺をもつ大工の神としての聖徳太子像や京都の六角堂の聖徳太子沐浴の古跡など各地に信仰の痕跡がみられる。また浄土真宗の宗祖である親鸞も聖徳太子を深く信仰していたことが、六角堂の救世観音への願かけの謂れや「皇太子聖徳奉讃」からも読み取ることができるのである。

三郷市1


三郷市2

【講師プロフィール】
奈良県立図書情報館長、国際日本文化研究センター名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。文学博士(文学・京都大学)。1942年奈良県生まれ。京都大学文学部史学科卒業、同大学院博士課程(地理学専攻)を経て、追手門学院大学助教授、奈良女子大学教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。94年度濱田青陵賞受賞、05年度日本地理学会優秀賞受賞、07年度奈良新聞文化賞受賞。奈良県記紀万葉プロジェクト顧問。旅の文化研究所評議員。著書に、『地名の巨人 吉田東伍-大日本地名辞書の誕生』(角川書店)、『古代の風景へ』 (東方出版)、『平城京遷都 女帝・皇后と「ヤマト」の時代』(中公新書)、『古代日本の王権空間』(吉川弘文堂)、『飛鳥の覇者-推古朝と斉明朝の時代』(文英堂)、『こまやかな文明・日本』 (NTT出版)、『京都まちかど遺産めぐり』(ナカニシヤ出版)、『古事記の宇宙(コスモス)-神と自然-』(中公新書)、『まほろばの国からⅠ』(飛鳥書房)、『古事記の奈良大和路』(東方出版)、『古代天皇誌』(東方出版)、『古代飛鳥を歩く』(中公新書)など、著作、監修多数。