記紀・万葉講座

日本書紀からのメッセージ

日本書紀を語る講演会 第10回 田原本町

2017年3月5日(日)13時00分~14時40分
会場・田原本青垣生涯学習センター弥生の里ホール
講師・奈良大学 文学部教授 上野誠(うえのまこと)氏
演題・日本書紀からのメッセージ


 

講演の内容

 「どうすれば楽しい宴会が出来るのか。」これは命に限りのある人間にとって、大きなテーマのひとつと言えよう。例えば、お花見で綺麗な桜を愛でながら、または日々の食事を楽しむために飲むお酒。こうした酒宴をめぐる文化は、古代文化のひとつの特質である。

 古事記中巻に「酒楽之歌(さかくらのうた)」という歌があり、日本書紀巻9「神功皇后」にもほぼ同じ内容の歌が記載されている。

(ここ)に還(かえ)(のぼ)り坐()しし時に、其の御祖(みおや) 息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)(まち)(ざけ)()みて(たてまつ)りたりき。 (しか)くして、其の御祖の御歌(おうた)に曰はく、 この御酒(みき)は 我が御酒ならず (くし)(かみ) 常世(とこよ)(いま)す (いは)()たす 少御神(すくなみかみ)の 神寿(かむほ)
寿()(くる)し 豊寿(よよほ)き 寿き(もとほ)(まつ)()し御酒ぞ ()さず()せ ささ

この歌は、のちの第15代応神天皇が誉田別皇子(ほむたわけのみこ)時代に角鹿(つのが)の国から、大和に帰ってきた際に、母親の息長帯日売命(=神功皇后)が「待ち酒」を献上する際に歌われた。唾液の酵素で発酵させ、御子が帰ってくる日を計算して作られたお酒を御子に勧める口上である。息長帯日売命が醸した待ち酒を「お酒は私が造ったお酒ではありません」と歌っているが、これは決して矛盾しない。息長帯日売命は、自分が作ったお酒であっても、少御神がたくさん囃し立て、祝福を受けた神様が造ったお酒ですと謙った表現をしているのである。そして、家来の建内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)は御子のために次のように歌った。

この御酒を 醸みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ 醸みけれかも
舞ひつつ 醸みけれかも この御酒の 御酒の あやに甚楽(うただの)し ささ

つまり、お酒を造ったのは息長帯日売命であることは明確であるが、「このお酒は、私が造ったのではなく、神様が造ったお酒です。」と御子に勧め、そのお酒を飲み干した後、家来の建内宿禰命は「このお酒は、母である息長帯日売命が鼓を叩いて歌い、舞いながら造ったものなので、とても楽しいお酒です。」と応えることこそ、この歌の本質であり、心なのである。さらに付け加えるならば、立派な親と立派な御子だけではなく、立派な家来がいることで、国というものは成り立っていることを伝えていると私は考えるのである。

土橋 寛氏は、こういった歌々を「宮廷歌謡」なる用語で捉え直し、その下位分類に「酒宴歌謡」という分類項目を立てて考察した。「酒宴歌謡」は、最初に、お酒を勧める「勧酒歌」があり、続いて、感謝を表す「謝酒歌」が対になっているとしている。まさに酒楽の歌はこの典型例である。土橋氏は、この2つに加え、客人が辞去にあたって歌う「立ち歌」、それを主人が送る「送り歌」の4つに酒宴歌謡を分類している。

日本書紀巻5「崇神天皇」に歌われた「この神酒は我が神酒ならず」の歌がある。第10代崇神天皇が即位した際、飢饉がおこり国が乱れた。夢の中で、大物主神から「この国が治まらないのは私の意志である。私の御子である大田田根子に三輪山の神を祀らせれば安らかになるであろう。」と告げた。崇神天皇は大田田根子を探し出し、お告げの通りに祀らせると国は治まった。この説話は、天皇の「祭政分離」の思想を表しており、天皇が行うのは政であり、また、祭祀者の任命権を保持していることを意味する。この祭政分離を念頭に置いて、「この神酒は我が神酒ならず」の歌を読み解くと、日本書紀には、人活日に大神(おほみわ)の掌酒(さかびと=神酒の醸造を司る人)を、大田田根子には大神の祭祀者を任命したとあり、まさに祭政分離であったことがうかがえる。そして大田田根子を任命した日に、人活日は神酒を天皇に献り歌った。

 比の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久

ここも、自分が造ったお酒であっても「我が神酒ならず」と伝える勧酒歌である。次に、宴の参加者たちが歌う。

 味酒(うまさけ) 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を

これは要約すると、朝までお酒を飲んでいたいといった謝酒歌であり、それに天皇が

 味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を

と歌い返し、自らは門を開いて出て行かれたとある。

このような楽しい酒宴を催した天皇には徳があることを表し、また酒宴を催すことが政事そのものであり、人間が生きるということそのものであると思う。日本書紀は、人生というものを肯定的に捉え、楽しむべき時には楽しむという生き方を提案しているのではないかと思うのである。

田原本町1


田原本町2

【講師プロフィール】
1960年、福岡生まれ。
国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。奈良大学文学部教授。国際日本文化研究センター客員教授。
第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団学芸賞受賞。『古代日本の文芸空間』(雄山閣出版)、『万葉体感紀行』(小学館)、『大和三山の古代』(講談社現代新書)、『魂の古代学――問いつづける折口信夫』(新潮選書)、『万葉挽歌のこころ――夢と死の古代学』(角川学芸出版)など著書多数。
万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。近年執筆したオペラの脚本も好評を博している。