日本書紀が語る明日香の魅力-神武天皇から持統天皇まで-
日本書紀を語る講演会 第8回 明日香村
2016年2月20日(土)13時00分~14時30分
会場・奈良県立万葉文化館 企画展示室
講師・作家 三田 誠広(みたまさひろ)氏
演題・日本書紀が語る明日香の魅力-神武天皇から持統天皇まで-
パンフレットにリンク
講演の内容
日本の天皇は万世一系、代々血筋によって守られている。どんな時代にあっても、常に天皇が一番偉いということにしておくことが、日本の平和を維持する上で非常に役に立っている。この天皇という万世一系の最初にいるのが、神武天皇である。『日本書紀』によれば、神武天皇の父母は鵜草葺不合命と玉依姫である。日本の天皇というシステムは、このように神話の物語と繋がっているというところが、特筆すべき特徴である。
太陽神を信仰していた神武天皇は、太陽の昇ってくる方向を目指して、日向国(宮崎県)から東を目指した。辿り着いた山に囲まれた土地=大和は太陽が出てくるところであり、砦を作るのにふさわしいと考えた神武天皇は、出雲の先住民を追い出し、大和を支配する。大国主命の怨念を恐れた先住民や征服民である大和の人間たちが頻繁に三輪山へ参拝し、聖なる土地として扱われるようになった結果、現在の奈良盆地南部は発展を遂げていく。
日本神話という物語と繋がった『日本書紀』は、どこまでが本当かわからない。よって、「聖徳太子はいなかった」というような論も登場してくるが、小説家という立場から言えば、その逸話の全てが嘘であるとは考えにくい。聖徳太子の事績としては、「十七条憲法」や「冠位十二階」の制定が挙げられるが、仏教を広めることにも力を注いだ。個々の豪族がそれぞれ、バラバラの神様の末裔であると信仰していたのではまとまりがつかないので、国中で仏教を信仰することで、対話ができる環境を作り出そうとしていた。これらの政策はいずれも、日本という国を統一するために行ったものだった。
天皇というのは国民を1つにまとめるための神の末裔としての存在であり、武力を持たない。だが歴代で5人ほど、本当に権力をもった天皇がいる。武士を手なずけて藤原政権を倒した白河天皇。都を奈良から京都に遷した桓武天皇。それから天智天皇と、弟の天武天皇、その后の持統天皇である。大化改新のクーデター後、中大兄皇子は天智天皇として即位するが、独裁的な体制に反感の声が増えていった。弟の大海人皇子を天皇にとの風潮が強まってきたため、天智天皇は大海人皇子を吉野へと追放する。天智天皇が亡くなると、大海人皇子は吉野より攻め入り、政権を取って天武天皇となる。天武天皇も独裁者であったが、暦を使い始める、明日香の街を整備するなど、業績を数多く残した。天武天皇の時代が、明日香が一番栄えていた時期であった。持統天皇は天智天皇の娘である。より大きな都市を築くために都を藤原に遷し、明日香の時代に終わりを告げた時代でもあった。持統天皇
は、同母の姉の子供である大来皇女、大津皇子を左遷、処刑するなど、自らの系列の子孫に政権を譲るべく画策していた。祖父を殺した父の天智天皇を恨んでいたものの、同じ天皇として政治を行っていくうちに父の心情を理解していく。そんな中詠まれた歌が、「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山」である。持統天皇は歴代の天皇の中でも特に「天皇の血筋」に拘りをみせた天皇だろうと思われる。
【講師プロフィール】
三田 誠広(みた・まさひろ)/作家
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部卒業。1977年、『僕って何』で芥川賞受賞。
日本文藝家協会副理事長、日本ペンクラブ理事、武蔵野大学教授を務める。
著書に、『いちご同盟』、『炎の女帝/持統天皇』、『天翔ける女帝/孝謙天皇』、『碧玉の女帝/推古天皇』、『日本仏教は謎だらけ』、『聖徳太子/世間は虚仮にして』など多数。