記紀・万葉講座

「古事記にとって葛城とは」

古事記を語る講演会 第9回 葛城市

2014年3月1日(土) 13時30分~15時00分
会場・葛城市歴史博物館 あかねホール
講師・大阪府立大学 教授 村田 右富実氏
演題・「古事記にとって葛城とは」

パンフレットにリンク


 

講演の内容

現在の葛城(カツラギ)は、奈良時代、「カヅラキ」と呼ばれていました。その葛城を『古事記』に見ると、大和、近江、出雲に次いで多くの記事が載っています。大和国内では飛び抜けて多くの記事を持っているのです。そして、大和国内の地でありながら「葛城国造(県知事のような意味です)」という言い方もあり、葛城は古代にあって別格の存在であり、天皇家と並び立つような強大な力を持っていたと思われます。


 

 

さて、葛城氏の中で最も有名なのは、葛城襲津彦(葛城氏の始祖)と都夫良意美でしょう。後者の都夫良意美は雄略天皇の即位前後に滅ぼされたと考えられますが、このことは、葛城氏が天皇家と敵対しうる勢力であったことをも示します。雄略天皇の時代は日本という国家形成の時代でもあり、そうした潮流の中で、天皇家の敵対勢力がことごとく敗れ去っていった時代です。葛城氏を支配下に組み入れることが大和統一の最後の鍵を握っていたのです。

その雄略天皇と葛城の関係について、『古事記』は2つのお話を載せています。1つは葛城の猪(猪は神様の使いであったり、神様そのものである場合もあります)のお話です。ある日、雄略天皇が葛城山を登っていくと大きな猪が現れました。天皇は鏑矢で猪を射ようとしますが、猪が怒りながら突進してきたため、天皇が榛の木に逃げ登ったというものです。このお話は葛城という地域がまだ完全に天皇家のものになっていないことを意味しているでしょう。もう1つは、葛城の一言主大神のお話。雄略天皇が正装をして臣下と葛城山を登っている時に、同じ装いをした一行と出会います。天皇が名を告げるように言うと、相手は葛城の一言主大神と名乗ります。
天皇は神様とは知らなかったと謝罪し、弓矢や臣下の衣を神に奉納します。一言主大神はそれを受け取り、葛城の神であるにもかかわらず、葛城山を下りて天皇の宮近くまで見送りに来ます。山の神が山を下りることは、本来的にはありえず、これは一言主大神が雄略天皇の支配下に入ったことを物語るでしょう。

『古事記』において葛城は、天皇家と対等、ときには天皇家に対して上位に位置する勢力として描かれます。大和統一の覇者である雄略天皇でさえ、葛城を自分の側に組み入れるためには、その神との対話が必要なほど強大なものとして描かれているのです。その強大さは雄略天皇の時代に衰滅していってしまいますが、その後も、外戚関係は続いてゆきます。あらためて古代の葛城に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。


 

 


【講師プロフィール】
村田 右富実(むらた・みぎふみ)/大阪府立大学 教授
1962年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。同大学博士後期課程単位取得退学。博士(文学)(北海道大学)。大阪女子大学勤務を経て現職。
萬葉学会編輯委員。美夫君志会常任理事。上代文学会理事。全国大学国語国文学会委員。
上代文学、とりわけ『万葉集』を中心として、和歌の成立などを研究テーマとする。著書に『柿本人麻呂と和歌史』(和泉書院 上代文学会賞受賞)、共著に『万葉史を問う』(新典社)、『南大阪の万葉学』(大阪公立大学共同出版会)などがある。
監修の『マンガ遊訳 日本を読もう わかる古事記』(西日本出版社)は、奈良県主催の「平成24年度古事記出版大賞」において「太安万侶賞」を受賞。

●関連情報
「平成24年度古事記出版大賞」