「古事記はいかに読まれてきたか」
古事記を語る講演会 第6回 桜井市
2014年2月9日(日) 13時30分~15時00分
会場・桜井市立図書館 大研修室
講師・佛教大学 教授 斎藤 英喜氏
演題・「古事記はいかに読まれてきたか」
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講演の内容
太安万侶が編纂した古事記の原本は、写本が代々書き継がれてきて今に至る。現在残っている写本で一番古いのは1371年に名古屋の真福寺の僧侶が書き写したもの(国宝真福寺本)である。
江戸時代になると京都でまず出版・印刷業が始まり(お経を印刷するため)、1644年に古事記も出版される。『古事記伝』を書いた本居宣長以前に、この古事記を研究していたのが徳川光圀(水戸黄門)である。彼は中国の史記『六国史』に感銘を受け、日本にもこうした歴史書が必要だと考え、必死で勉強する中で古事記の方が日本書記より古くて正確ではないかと思うようになり、『大日本史』という『六国史』以降の正式な歴史書をつくる。ちなみに水戸藩は歴史学の研究センターとなり、ドラマに出てくる助さん、格さんは実在の人物でトップクラスの歴史学者。彼らは日本全国を旅しながら古い歴史書を探していたのが真相だ。
そして寛政10年、宣長が『古事記伝』を完成させ、これにより古事記がはじめてメジャーとなる。
宣長が考えた古事記の魅力は大きく2つある。
1つ目はイザナキとイザナミの結婚の場面。お互いを褒め合う言葉(呪文)からわかるように、古事記は古代大和の音声の言葉を重視していた点。
2つ目はヤマトタケルの場面。ヤマトタケルは日本書記では父親である景行天皇に愛された孝行息子として描かれているが、古事記では父に嫌われて号泣するなど、気持ちを素直に表現する人物として描かれている。儒教ひいてはうわべを飾る武士階級への批判を盛り込みながら、気持ちを素直に表現できることが大切であり、それこそがいにしえの人(庶民)の真心という点である。
宣長以降は、その弟子である平田篤胤が、やはり古事記の研究をし、チェンバレンが古事記の英訳をしたことで、それを読んだラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が来日する。
その他、古事記の絵を描いた画家の青木繁、戦後は昭和23年に当時の最先端の思想である唯物史観のマルクス主義で古事記の研究をした石母田正、昭和42年にフランスの構造主義(哲学)の観点で古事記の解釈をした西郷信綱などがいるが、古事記という本は、1300年前の本ではあるが、常に最先端の思想、学問と結びつきながら、読み継がれてきたと言える。