「古事記に出会って」
古事記を語る講演会 第5回 宇陀市
2014年2月1日(土) 13時30分~15時00分
会場・宇陀市中央公民館 榛原分館大ホール(榛原総合センター)
講師・千葉県熊野神社宮司(元・NHKアナウンサー)宮田 修氏
演題・「古事記に出会って」
パンフレットにリンク
講演の内容
NHK大阪に勤務していた頃、神主である大家に家を借りたことが縁で、神主になるべく勉強を始めた。
神道にはキリスト教の聖書のようなものがなく、古事記や日本書記、万葉集などから日本人の伝統的なものの考え方を汲み取ることが、神主になるための勉強であった。古事記を原文で読み、意味が分からなければ試験に合格しないが、すぐに古事記(上巻)のおもしろさの虜になっていった。
そもそも古事記のすぐ後である8年後に日本書記ができたことが不思議であった。当時の唐が日本に対して属国になるよう言ってきて、それに対して日本は、こういうすばらしい歴史をもっているので、指導してもらう必要はないと突きつけたのではないかと個人的には解釈している。
古事記や日本の古典を読むと、日本人は自分の命を、先祖から今にリレーされている命であり、ここから未来につなげる命だと考えている。この時間軸の中で、今を生きるという考え方をしていれば、子どもの虐待死、自殺、援助交際などはおこらないと思う。
古事記の中に伊邪那美命が火の神を生んで亡くなったので、伊邪那岐命が元の世界に戻るよう説得するために黄泉の国に行く記述がある。その際に夫婦喧嘩をし、命からがら伊邪那岐命は通常の世界に戻るが、このことから、永遠に続くものはないこと、火とは文明のことであり文明は便利な反面危ないことを示唆しているのではないかと思う。
古事記には天の岩戸、因幡の白ウサギ、八岐大蛇など子どもの絵本になるような素材がたくさんあるが、それが事実かどうかより、当時の人たちが日本の成り立ちはこういうことだと考えた事実こそが大変重いものであると思う。
神主の勉強をして、人間とはいかにあるべきかということを、日本人はずっと考えてきたと痛感した。日本人のたたずまい、日本人のあるべき姿を顧みること、守ることの大切さも学んだ。私自身、日本の伝統的なものの考え方を勉強することによって、日本人に戻れたと思っている。みなさんも古事記に関心を持っていただいて、ぜひ真の日本人になって欲しい。
【講師プロフィール】
宮田 修(みやた・おさむ)/千葉県熊野神社宮司(元NHKアナウンサー)
1947年 千葉県生まれ
千葉県立船橋高校を経て埼玉大学教育学部卒業後の1970年4月、NHK(日本放送協会)にアナウンサーとして入局。1995年、大阪放送局時代に阪神・淡路大震災に遭遇し、発生の第一報から冷静沈着に報道。実績が評価され4月、東京本部に異動、看板番組「ニュース7」のキャスターを1999年3月まで務める。2008年にNHKを退職。在職中の14年に神職の資格を取得し、翌15年から熊野神社(千葉県長南町)の宮司となり現在に至る。著書に「危機報道ーその時わたしは」(関西書院)がある。