記紀・万葉講座

令和元年度聖徳太子シンポジウム

日時:令和元年12月7日(土)
会場:サンケイホールブリーゼ(大阪市)

4回目となる、今回の「聖徳太子シンポジウム」は、「聖徳太子と政治~ヤマトの政(まつりごと)~」をテーマとし、本郷真紹氏(立命館大学文学部教授)の基調講演とパネルディスカッションなどが行われ、聖徳太子と政治についての活発な議論がかわされた。
イベントの後半は、ユニット「KaTaCHI」によるスペシャルライブ「幽玄の世界~KaTaCHI~」が行われ、演奏と舞が披露された。

プログラム
主催者挨拶 奈良県知事 荒井正吾
第1部 基調講演「聖徳太子の政治基調」
本郷真紹(立命館大学文学部教授)
第2部 パネルディスカッション「東アジアの文化と交流が導く日本の礎」
〈パネリスト〉
本郷真紹(立命館大学文学部教授)
頼住光子(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
桂米團治(落語家)
〈コーディネーター〉
道上洋三(ABCパーソナリティ)
第3部 スペシャルライブ「幽玄の世界~KaTaCHI~」
藤間信乃輔(日本舞踊)、中井智弥(二十五絃箏)、豊剛秋(笙)

第1部

基調講演「聖徳太子の政治基調」本郷真紹(立命館大学文学部教授)

聖徳太子誕生の6世紀後半、中国には隋が建てられ、朝鮮半島の高句麗・新羅・百済はお互いの領域を巡り争うなど、東アジア全体が激動の時代でした。日本は朝鮮半島南端の加耶より最先端の技術や知識、資源などを導入していましたが、新羅が加耶を制圧。日本は資源の導入口が絶たれるかもしれない外交的課題を抱える一方、国内では皇位継承を巡り身内が争う深刻な状況でした。 聖徳太子の父・用明天皇は即位2年で崩御。幼い聖徳太子に代わる後継を物部守屋と蘇我馬子各々が擁立し対立、丁未の乱が起こります。日本書紀では仏教受容を巡る争いとしていますが、これは皇位継承を巡る対立に、豪族間の、権力争いが絡んで起きた戦です。戦いは馬子が勝利し崇峻天皇が即位しますが後に馬子が暗殺、その後即位したのが日本初の女帝とされる推古天皇です。甥の聖徳太子は摂政として馬子と共に政治改革を推進し603年「冠位十二階」を制定、門閥主義の古い慣習を廃し能力による人材登用を行います。それら役人への心得を説いたのが「憲法十七条」で、私はその順番に重要な意味があると考えます。第一条は「和をもって貴しとし、さかふること無きを宗とせよ」=和を大切にして争うなとしています。おそらく聖徳太子は皇族間での骨肉の争いを克服しないと新しい国づくりは不可能と考え、この条文を最初に盛り込んだのだと思います。第二条は「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり」。ここで仏教崇拝です。日本の神々は血縁的、地縁的結合をとり結ぶ存在ですが、血縁や地縁の違いは時に対立を生んできた。そこで聖徳太子は、仏教の血縁地縁の違いを問わない普遍性を重視され、普及に尽力されたのではないでしょうか。 聖徳太子の政治基調とは仏教の特性を基軸に、それまで起こっていた様々な軋轢を克服し、その上で強く新しい日本の国家体制を作り、激動する東アジアの情勢に対応していくことであったとご理解いただければと思います。

第1部1

第2部

パネルディスカッション「聖徳太子と政治~ヤマトの政(まつりごと)~」
〈パネリスト〉
本郷真紹(立命館大学文学部教授)
頼住光子(東京大学大学院人文社会系研究科・教授)
桂米團治(落語家)
〈コーディネーター〉
道上洋三(ABCパーソナリティ)

◆道上
聖徳太子で興味深いのは?

◆瀬住
研究成果を社会問題解決に応用する「社会実装」が、聖徳太子にも言えるかと思います。それは一流の学問僧から得た知識を社会実装させていったこと。仏教という普遍的な宗教で、部族的な社会を軍事的・政治的に統一された国へ導いた、世界史的に見ても大変重要な仕事を成し遂げた方だと思います。

◆米團治
僕は、聖徳太子は仏教を利用して、キリスト教を運んだのではと思っています。京都の広隆寺に安置させた弥勒菩薩半跏思惟像は、新羅の青年結社・花郎の青年団が運んでいて、それは中東の方から来ています。そのため飛鳥仏だけ鼻が高いのではないかと(笑)。

◆道上
憲法十七条はいかがですか?

◆瀬住
第一条の冒頭は全体の最も大切なテーマだと思います。「和」は同調圧力だと言う方もいますが、第一条には「必ず議論しなさい」とあります。仏教の「和合僧」には教団の和合を重視し、意見の相違は話し合い、1人でも反対すればその事柄について何も決めないという考え方があります。全員が納得するまで話し合う仏教の伝統が第一条の「和」の思想的な基盤にあるのではと思います。

◆道上
文化面でも影響を与えた方ですね。

◆米團治
蘇我の勝利で聖徳太子が建てたとされる四天王寺は、四天王という脇神を祀っているのもあの場所にあるのも不思議。南東には物部守屋の祠があり、今も子孫の方がお守りしているそうで、聖徳太子は蘇我も物部も大切に思っていた気がします。

◆木郷
現在の四天王寺が建立時と同じであるかは、少し慎重に考えないといけませんが、豪壮なお寺があることは日本の文化的水準を象徴しますから、外国使節に対しあえて目につくところに建てたのではと思います。

◆道上
社会福祉施設的な院も作られた。

◆瀬住
仏教の慈悲の精神が根底にあるのではと思います。悲惨な跡目争いを見てきた聖徳太子がその精神に共鳴し、地縁血縁を超える新しい見方として、仏縁というつながりを重視したのではないでしょうか。

◆道上
ありがとうございました。

第1部3

第3部

スペシャルライブ「幽玄の世界~KaTaCHI~」
ユニット・KaTaCHI(藤間信乃輔、中井智弥、豊 剛秋)

二十五絃箏・中井智弥、日本舞踊・藤間信乃輔、笙・豊 剛秋による個性豊かな音楽ユニット「KaTaCHI」が、素晴らしい演奏と舞を披露。伝統とモダンを感じさせるステージに会場は感動の渦に包まれました。

第2部1