小手伸也のよくわかる古事記(出張版)
古代を感じるトーク&ライブ 御所市
2019年2月16日(土)13時10分~14時10分
会場・御所市文化ホール アゼレアホール
<トーク>
出演・小手伸也 氏
タイトル・「小手伸也のよくわかる古事記(出張版)」
<ライブ>
出演・神武夏子 氏、齊藤 歩 氏
タイトル・神武夏子ピアノコンサート「古事記を奏でる」
概要
<トーク>
本日は世間的にハードルが高いと思われている記紀神話が実はこんなに楽しいんだ!という話を私なりに出来ればと思います。
まずは、古事記を読んだことがない人にもわかるように、かみ砕いて古事記の説明をしたいと思います。
伊邪那岐命は「黄泉国」から戻った際に、穢れを落とすため、川で身体を洗います。その時に、左目を洗った時、天照大御神が、右目を洗った時、月読命が、鼻を洗った時、須佐之男命が生まれました。この後、天照大御神と須佐之男は姉弟喧嘩をするんですが、なぜか月読命はフェードアウトします。目から太陽と月が生まれる話は世界の神話でも類型が多いのですが、ここに天照大御神と須佐之男を立てたいという編集者の意思が働いていたんだと思います。記紀には結構な量の編集が入っていて、日本の神様全員が登場しているわけではありません。例えるなら、AKBのメディア選抜のような書物なんです。こういう風に考えると古事記にも親しみが持てませんか。さて、天照大御神は天の世界、月読命は夜の世界、須佐之男命は海の世界を治めるよう命じられました。後に天照大御神と須佐之男命は喧嘩をするのですが、天つ神系の神を信仰する民と海洋民族のアマ族との対立構造を表したのかもしれません。こういった話も諸説は様々あって、何が正解かわからないのも古事記の魅力のひとつと思います。
高天原で須佐之男命は乱暴狼藉を働き、追放されてしまいます。その時、降ろされた地が、葦原中国の出雲地方です。そこで、ヤマタノオロチを倒して、須佐之男命はヒーローになります。が、ここからバッサリ編集されて、六代後の話になります。それが大穴牟遅神という神様ですが、彼には色々な名前があります。一つのキャラクターに複数の役名があるところも古事記の読みにくい点かもしれません。日本各地の色々な神話を大穴牟遅神に集結させた結果、色々な名前を持った神様になったという説ともいわれています。大穴牟遅神は、須佐之男が王様になっているあの世へ行き、この世を治める主となれと認められたことで、大穴牟遅神は、大国主神と名前を変えます。そして、地上の王様になり、しばらく古事記では大国主神の話が続きますが、須佐之男の子孫である者に地上を好き勝手されるのが面白くなかった天照大御神です。天照大御神は大国主命に使いを送り、地上は天上の神が治める土地なので、国を譲れと言われた大国主神は大きな社を建ててもらうことを条件に素直に国を譲ってしまいました。
地上平定のために任命されたのが天照大御神の孫である「天邇…天邇岐志…国邇岐志…天邇…」・・・天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命です!日本神話にはこのように名前が長い登場人物が出てきて、心を折ってきます(笑)簡単に言えば、「邇邇芸命」ですが、それよりも前の部分は彼がどれだけすごい人かを装飾したものです。「天にも地にも親しく、天の世界の太陽の子どもであるところ」の「邇邇芸命」となります。天孫降臨するのがこの神であり、九州の高千穂に降臨する。出雲でもめ事があったのに、高千穂に降りてくるのはなぜ?と気になりますが、こちらも諸説入り乱れており、古事記の研究者はそういったものを研究されています。「邇邇芸命」の後、三世代ほど物語があり、その後、「神倭伊波礼毘古命」が神武東征し、橿原で「神武天皇」になります。ここまでの話が三巻ある古事記の上巻の話です。中巻下巻は歴代天皇の話になります。やはり古事記は、この上巻までのエピソードに人気が集まります。
そもそも古事記は一般市民が読める物ではなく、天皇が読む物でした。時を経て、江戸時代にお寺の下から発掘され、本居宣長という国学者が大事にしなければならないと広め、有名になりました。元々は天皇に対し「あなたの歴史はこういうものでした」と献上されたもののようです。神道、宗教という括りで考えると、古事記はキリスト教における聖書のようなものですが、「教え」になるようなものはありません。また、一般的には、神話と歴史というのは別モノでして、例えば神話とは神様がいかに世界と人を想像したかの話であり、歴史とは人が歩んできた事実の集積です。しかし、こと日本、この古事記においては、神様の話が人の話になり、それが歴史となっている。神話と歴史がグラデーションのように地続きになっている点、これは世界的にもかなり特殊だと思います。
なぜ私が古事記に惹かれたのかというと、もともと心理学に興味があり、とりわけ「C.G.ユング」による分析心理学に興味がありました。ユングは心の研究するうちに、オカルトの分野に興味が傾き、やがて神話へと辿りつきました。そして、離れた地域の人々にも同じ概念を持つ神話の普遍性に気付きました。僕自身、独学で心理学を勉強しながら、演劇の脚本等を書いていたのですが、やがて行き詰まるようになりました。その時にユングの生き方に倣って辿り着いたのが神話でした。中国やネイティブアメリカの神話を勉強するうちに、物語を書く上で「神話とは何か」と考えているようになったんです。そして、日本人の必須の物語を知っておいた方がよいのではないかと思い、読んだのが古事記でした。読んでみると、伊邪那美命の亡くなり方や須佐之男命とオオゲツヒメの話など、お下劣な話が多いことに驚きました(笑)古事記はありがたい話だと、思いながら読んでいると、そんな話があって、それがとても面白いと思うようになったんです。天皇陛下に読ませるための物が古事記であり、当時の海外向け書物が日本書紀で、日本書紀は、いわば、日本の歴史を外交の場でプレゼンするための資料で、物語ではなく、箇条書きのような書式で、バージョン違いの神話も書いてあります。日本書紀は一般に出回っていたので有名でしたが、古事記は皇室でのみ継承されていました。ほぼ同時期にスタートした国家プロジェクトとして書かれたものだと思われるこの2つの書物を比較すると、日本書紀は物語性が薄いですが、よく整理されています。一方、古事記の方は雑多ですが、物語が強く、またそこに私情が感じられます。古事記は、そんなところが面白いなと思います。
日本の神様について少し考えてみたいと思います。はるか昔も、宗教や、神様といった概念もあったと思います。縄文時代の言葉で「km(n)」という言葉があり、「上に在るもの」という意味です。この言葉が時代を経て、大和言葉では「カミ」、アイヌ語では「カムイ」、琉球方言は「カン」というそれぞれ「神」という意味の語源になったのです。本来は神様の語源は「上に在るもの」という意味でしかなかったのです。古来の日本の神は、仏教の仏像等と違って、ご神体は鏡や木、岩、山等のように人の形をとらずに、宿るものであり、また上に在るエネルギーでした。しかし、古事記が編纂される直前に仏教ブームがやってきます。当時の文化の最先端である中国から、仏様という形がある仏教は、信仰しやすく、当時多くのセレブに人気でした。劣勢だった日本の神道は、どうにか神道を形にしたいという強い思いがありました。神の存在は日本の歴史を語る上で不可欠で、なにより天皇家の歴史は神話と地続きでもあります。天皇家が、いかに正当に成立したかを知らしめるための歴史が必要であるということ、また人民の心を治めるには神が必要だったことが合致した結果、古事記が生まれました。世界を見ても、神様と地続きで、歴史が語られる歴史書は珍しく、また、皇族の血統云々や国家の代表云々をいったん置いておくならば、国家元首の血統が2000年以上も続いている国は他に類を見ません。
日本人の潜在意識には、アニミズム(精霊信仰)が刷り込まれています。元々、「カミ」という言葉があって、中国との付き合いで「神」という文字が充てられたんですが、この漢字は人格神の意味合いを持ちます。この時、エネルギーだったカミが人の形になります。そして、西洋諸国との付き合いの中で、「GOD」すなわち絶対的な神、唯一神を知ることとなります。ただのエネルギーが人の形をとり、やがては唯一の存在となります。神の概念が徐々にシフトしてるんですね。私たちの宗教は本来、天上世界の絶対的な神を崇拝するというものではなかったため、宗教の考え方に大分ズレが生じ始めました。今となっては戦争に悪用されたり、カルトの影響もあったりで、宗教自体にアレルギー反応を起こす人もいるでしょう。加えて、無宗教や無信仰という現代的国民性があり、宗教の話はちょっと…と、「神」をさける傾向があります。その一方で、スピリチュアルブームで例えられるように「あの神社にいけば…」とか「この井戸にはご利益がある」という目に見えない力には不思議と親しみがあります。何故か。その理由は実はとても簡単で、日本人が持つ「神」の概念が、未だに「カミ」だからです。だからこそ、宗教的な神を信じない一方で、神霊的なエネルギーに対する信仰は比較的平気というアクロバットを平然と成し遂げられている。おそらく僕たちは縄文人的な感覚と言いますか、宗教感覚としてアニミズムを無意識的に共有しているため、抵抗が少ないんだと思うのです。
私たち日本人には八百万の神という概念があります。何でもかんでも神なんです。生者であろうが死者であろうが、キリストも仏も神と捉え、自然界のみならず、付喪神、長年使っている道具にすら神が宿ると考えられています。こうして世界中のGODを巻き込んで、それでも「カミ」の一員として取り入れることが出来るこの節操の無さ(笑)、それは決して信仰を軽んじているからではなく、「カミ」との距離感、その精神性を、遥か縄文の時代から、私たちが受け継いでいるからではないかと思います。
「受け継ぐ」という考えを持つと、歴史が他人事ではなくなり、神様や神話はいいものだなと思える瞬間がくるかもしれません。神話と地続きの世界観に、私たちは今まさに生きている訳ですから。
トークの後には、神武氏と齊藤氏によるピアノコンサート「古事記を奏でる」が行われました。
【プロフィール】
俳優:小手伸也
1973年12月25日生まれ。神奈川県出身。 早稲田大学卒。主宰する劇団innerchildでは、作家・演出・俳優を兼ねる。 映画「不灯港」(PFFスカラシップ作品)では主演を務め、海外でも高い評価を受けている。 近年ではドラマや舞台のほかナレーションでも活躍。主な出演作品に、【ドラマ】NHK大河ドラマ「真田丸」(塙団衛門 役)、テレビ朝日「仮面ライダーエグゼイド」(天ヶ崎恋 役)、フジテレビ「コンフィデンスマンJP」(五十嵐 役)、テレビ朝日「ハゲタカ」(ナレーション)、18年10月放送 フジテレビ「スーツ」(蟹江貢 役)、【舞台】「七変化音楽劇 有頂天家族」、ブロードウェイミュージカル「ピーターパン」、ミュージカル「黒執事」、シス・カンパニー公演「子供の事情」など多数。
【プロフィール】
ピアニスト:神武夏子
作曲家・朗読家。武蔵野音楽大学音楽学部ピアノ科卒業。フランス留学後、エリック・サティと「フランス6人組」の音楽を、リサイタルを中心に、サロン・コンサート、NHK-FM「名曲リサイタル」出演など、さまざまなかたちで紹介している。また、詩人藤富保男氏とピアノと詩の朗読による「詩を奏でる」を各地で公演。2012年以降、「古事記」をテーマにして、音楽と語りによる独自の世界を企画・プロデュースし、自ら表現する活動をしている。2002年、CD「café des six」、2006年、CD「café Poulenc」を発表。2015年、著書「古事記を奏でるCDブック上巻」、CD「聖なるものへの讃歌」、2016年、著書「古事記を奏でるCDブック中巻」、2017年、CD「宮澤賢治 音楽と詩の世界」を発表。ペンクラブ会員。
【プロフィール】
フルーティスト:齊藤 歩
フルーティスト・サウンドクリエイター。国立音楽大学付属高等学校を経て、国立音楽大学フルート専攻を首席で卒業。国立音楽大学卒業演奏会、読売新人演奏会に出演。第5回日本アンサンブルコンクール室内楽部門、優秀演奏者賞受賞。2000年、2005年、2009年にモーツァルト青少年管弦楽団首席奏者としてオーストリア公演に参加。日本モーツァルト青少年管弦楽団、モーツァルト・カンマー・オーケストラ首席フルート奏者。現在はExtasyBoxのフルート奏者として活躍。またDTMによる楽曲製作など幅広く活動中。