記紀・万葉講座

楽しい古事記 神話の世界に入りこむ

記紀を語る講演会  河合町

2019年1月19日(土)13時00分~14時30分
会場・河合町立文化会館まほろばホール
講師・帝塚山大学文学部教授 西山厚 氏
演題・「楽しい古事記 神話の世界に入りこむ」


 

講演の内容

私は、古事記は日本の歴史上、最も優れた文学であると考えている。とくに書き下し文で読むことを薦めたい。そこで本日は書き下し文を読みながら古事記の魅力について語っていきたいと思う。

古事記の冒頭は天地が出来たことから始まり、そこに天之御中主の神が登場する。ここ文章は太安万侶が注釈として、天をアマと読むように記されており、このような注釈は古事記には、たくさん見られる。
くらげのように漂っている作られたばかりの大地が出来、そして何人かの神が登場したが、これも身を隠した。そしてこれらの神々は、次の登場する伊邪那岐命と伊邪那美命の男女の神に「このただよへる国を修理(おさ)め固め成せ」と命じた。
与えられた天の沼矛を手に、伊邪那岐命と伊邪那美命は天の浮橋に立ち、矛を下してかきまぜた。この場面を古事記では「塩こをろこをろに画き鳴らして、」と表現している。
この表現方法はとても素晴らしいので是非、声に出して読んで欲しい。さて、かき回した矛を引き上げたときに落ちた滴が固まってオノゴロ島となった。
二神はその島に降り立ち、妹(いも)伊邪那岐命に次のように問う。ちなみにこの妹は姉妹の妹ではなく妻という意味である。
「お前の体はどのように出来ているか」と問われた伊邪那美命は「あが身は、成り成りて成り合はざる処一処あり」と答えた。
この台詞も古事記独特の語感の響きがいい文章である。ひとつ足りないところがあると答えた伊邪那美命に対して伊邪那岐命は「あが身は、成り成りて成り余れる処一処あり。」と言い、互いに補い合って国を作ろうと提案した。
しかし、最初の子である水蛭子はうまく育たず葦船に入れて流された。ちなみに、この水蛭子は恵比寿神と同一であるとも言われている。
天つ神に相談した結果、成功し、次々と国土が出来る。その次に、自然の神々を生んでいくが、火の神様を生んだことにより、火傷を負い、臥せってしまった伊邪那美命の吐瀉物や排泄物からも神々が生まれた。
このあたりも日本が八百万の神の国と言われる所以だと私は感心するところだ。

ところで、古事記や神話の世界は決して作り話だけではない。例えば、先ほど出てきた天の沼矛で海をかき回す場面は、鳴門の渦潮を見た古代人が、そのように連想したのではないか。 また、オノコロ島の比定地として淡路島の南にある沼島が挙げられている点からも神話と歴史の繋がりが窺い知れると思う。

伊邪那岐命は伊邪那美命に会うため黄泉の国へと向かう。黄泉の国の構造は、古墳をイメージしているようである。
石室の中に棺があり、羨道が外へとつながっているところは確かに似ている。醜い姿を見られ怒った伊邪那美命は、黄泉醜女や軍勢を派遣し、逃げる伊邪那岐命を追いかける。
その時、伊邪那岐命は山葡萄のつる草の髪飾りや竹の櫛、桃の実などを使って黄泉醜女や軍勢を追い払うのだが、植物は生命の象徴、悪いものを払う呪力があると信じられている。
とくに、桃は纏向遺跡や法隆寺の金堂の柱の中から桃の種が大量に発見されている。ついに二人は黄泉平坂で決別することとなった。黄泉平坂は今の島根県に伝承地が伝えられている。

黄泉の国から戻った伊邪那岐命は穢れを払うために禊を行うと、天照大御神、月読命、そして日本神話の主人公の一人ともいえる須佐之男命が生まれる。
しかし、須佐之男命は、高天原を治める天照大御神の元を訪れて乱暴を行った。天照大御神は岩戸に隠れて世の中は真っ暗になってしまうが、神々が相談し一計を案じたことで天照大御神は再び姿を現した。
その結果、須佐之男命は高天原を追われて、出雲の国に降り立つこととなる。今の斐伊川とされる川の上流から箸が流れてくるのに気づいた須佐之男命だが、さて、箸はいったいいつ頃から使われていたのだろうか。
正倉院の御物に箸が残されていたが、飛鳥時代にあったかどうかは疑問が残るところである。川の上流には老夫婦と娘がおり、八岐大蛇が娘を食べようとして困っていると相談を受けた須佐之男命は、娘を娶ることを条件に八岐大蛇を退治する。
八岐大蛇を酒に酔わせた隙に斬りつけると、1つの尾から太刀を見つけたので、それを天照大御神に献上した。これが三種の神器のひとつ、草薙の剣である。

島根県の揖屋神社は藁で作られた蛇などが供えられており、出雲神話の伝承が色濃く残っている。そして、私は斐伊川そのものが八岐大蛇であると考えている。
蛇行した河道が大蛇のうねりであり、川の氾濫は大蛇がもたらす災いだったのであろう。先程の鳴門の渦潮の話のように、やはり神話はただの作り話ではない。

須佐之男命の6世の孫とされる大国主命に時代は移る。妻を娶るために稲羽へ向かうたくさんの兄弟、八十神の供として、荷物を大きな袋に入れて付き従った。
その姿は同一神とされる大黒様に反映しているのであろう。そこで大国主命は毛をむしられた兎に出会う。大国主命は兎に問うと、向こう岸へ渡るためワニザメを騙して、怒りを買ったため裸にされてしまった。
そして、八十神の助言に従い海水で体を洗ったら余計にひどくなったと答えた。大国主命は適切な助言を行うと体は癒えたので、兎は感謝し、八十神ではなく大国主命が妻を娶るだろうと伝えた。
その通りに妻を娶った大国主命だが、そのことを恨んだ八十神たちは大国主命を亡き者にしようと企む。大国主命は須佐之男命の居る根の堅洲国に避難するのだが、そこで須佐之男命の娘の須勢理毘売(すせりびめ)と目が合ったとたんに結婚する。
ところで、私の専門とする古代日本の仏教の大きな特徴は戒律を守らないことにある。例えば、奈良時代の僧は妻帯が通例的に行われていた。
古事記は、古代日本人の大らかな気風や世界観が垣間見ることが出来る。須佐之男命は大国主命に様々な試練を与える。
蛇がたくさんいる部屋に入れるが、大国主命は須勢理毘売が授けたひれで蛇を打ち払った。ひれというのは女性が肩にかける薄い布である。
この時代、女性が身につけるものは不思議な力があると信じられてきた。ある意味では現代より女性が尊重されていた一面が窺い知れる。
そのような手助けもあり、大国主命は無事に試練を乗り越えることが出来た。大国主命は隙を見て、須勢理毘売とともに武器を持ち去り脱出する。
黄泉平坂まで逃げたところで須佐之男命は大国主命に、その武器で兄弟たちを追い出し、須勢理毘売を正妻として迎え、立派な国を作れと言い、大国主命はその通りに国づくりを始めるのであった。

くらげが漂うような地上を伊邪那岐命と伊邪那岐命が国土とし、そして大国主命が日本という国を作った。
しかし、その後、天照大御神が住まう高天原の神たちが大国主命の作った国を手にすることとなる。天照大御神の5代下った子孫が初代天皇となる神武天皇である。

記紀を語る1


プロフィール

【講師プロフィール】
帝塚山大学文学部教授:西山厚
京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館で「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な編著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)、『東大寺』(平凡社)、『語りだす奈良118の物語』(ウェッジ)など。奈良と仏教をメインテーマとして、人物に焦点をあてながら、生きた言葉で語る活動を続けている。2014年4月より現職