キーワードで識る記紀・万葉

兄弟

1.兄たちに恨まれる大国主神

大国主神(おおくにぬしのかみ)は、傷ついた稲羽(いなば)の素兎(しろうさぎ)を助けてあげました。素兎は、兄たちが求婚していた八上比売(やかみひめ)に結婚相手として選ばれるのは大国主神(おおくにぬしのかみ)だと告げます。そして、その通りになったことから大国主神(おおくにぬしのかみ)は兄たちに恨まれてしまい、速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が住む根の堅州国(ねのかたすくに)へ逃れるはめに。そこで大国主神(おおくにぬしのかみ)は、速須佐之男命(はやすさのおのみこと)の娘と結ばれ、正妻とすることで葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めることになりました。

『古事記』上つ巻 「稲羽の素兎」「根の堅州国訪問」より

2.に服従する

山幸彦こと火遠理命(ほおりのみこと)は・海幸彦(火照命・ほでりのみこと)から借りた釣針をなくしてしまいます。・山幸彦は・海幸彦に釣針をたくさん作って差し出しますが、許してもらえません。山幸彦は、釣針を探しに行った海の中で海神の娘と夫婦になり、海の干満を自由に操ることができる宝珠をもらい、をこらしめました。その後、は服従を誓って許され、以降の子孫は天皇となる弟・山幸彦の子孫に仕えることになりました。

『古事記』上つ巻 「海神の国訪問」より

3.ができなかった暗殺計画を成し遂げた

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)亡き後、その后だった伊須気余理比売(いすけよりひめ)と結婚した腹違いの・当芸志美々命(たぎしみみのみこと)は、比売の皇子たちを殺そうと企みました。その計画を知った皇子たちは反撃しようとしますが、の神八井耳命(かむやいみみのみこと)は恐れてできず、の神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)が当芸志美々命(たぎしみみのみこと)を倒しました。そこで神八井耳命(かむやいみみのみこと)は皇位を弟に譲り、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)が即位して綏靖天皇となりました。

『古事記』中つ巻 「当芸志美々命の反逆」より

4.を殺した激しい気性の

小碓命(おうすのみこと・後の倭建命)は、食事に同席しない・大碓命(おおうすのみこと)をつれてくるように父の大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと・景行天皇)から命じられます。ところが小碓命(おうすのみこと)は・大碓命(おおうすのみこと)の手足をもぎとって殺してしまいました。激しい気性を恐れた天皇は、西へ東へと小碓命(おうすのみこと)を討伐の旅に送り出します。父に嫌われたと嘆く小碓命(おうすのみこと)は、とうとう伊吹山の神に破れ、三重で命を落としてしまうのです。

『古事記』中つ巻 「大碓命」「倭建命の熊曾征伐」「倭建命の出雲征討」「望郷の歌」より

5.父に愛された

品陀和気命(ほむだわけのみこと・応神天皇)は、年長の大山守命(おおやまもりのみこと)・大雀命(おおさざきのみこと)よりも、彼らのの宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)を愛しく思っていたので、宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)に皇位を継承することに決めました。納得のいかないの大山守命(おおやまもりのみこと)は天皇亡き後に挙兵しますが、宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)の機転で逆に討ち滅ぼされることになります。ところが、大雀命(おおさざきのみこと)と宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)が皇位を譲り合っているうちに宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)は若くして亡くなってしまいました。そして、大雀命(おおさざきのみこと)が後を継ぎ、仁徳天皇として即位したといいます。

『古事記』中つ巻 「三皇子の分担」「大山守命の反乱」より

6.馬飼い、牛飼いになった皇太子兄弟

理不尽にも父を大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと・雄略天皇)に殺された、の意祁命(おけのみこと)との袁祁命(おけのみこと)は、遠くへ逃れて馬飼い、牛飼いになりました。ある時、国司の前で舞を披露することになり、その際に弟がよんだ歌の内容から皇子だと知られ、ようやく大和に帰ることができました。大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと・雄略天皇)の後を継いだ白髪大倭根子命(しらかのおおやまとねこのみこと・清寧天皇)には子がなかったため、兄弟は順に皇位を継ぎました。

『古事記』下つ巻 「二王子の舞」より