1.鳴鏑を探せ!速須佐之男命の難題
大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)・大国主神(おおくにぬしのかみ)は、速須佐之男命(はやすさのおのみこと)の娘、須勢理毘売(すせりびめ)と夫婦になりました。速須佐之男命(はやすさのおのみこと)は大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)に対し、苦難と試練のためでしょうか、さまざまな難題をけしかけます。野原に射込んだ鳴鏑(なりかぶら・鏑矢)を探すように命じ、野原に火をつけました。逃げ場を失った大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)を救ったのはネズミで、隠れ場所を教えた上に、鳴鏑(なりかぶら・鏑矢)を持ってきてくれました。
『古事記』上つ巻 「根の堅州国訪問」より
2.高天原から戻ってきた加久矢
大国主神(おおくにぬしのかみ)に対し葦原中国(あしはらのなかつくに)をゆずるよう説得を任された高天原の使者・天若日子(あめのわかひこ)は、説得するどころか葦原中国に着くなり大国主神(おおくにぬしのかみ)の娘と結婚し、国を自分のものにしようと企みました。そして、高天原から様子をうかがいに来たキジの鳴女(なきめ)を、天照大御神(あまてらすおおみかみ)らから授かった天之波士弓(あまのはじゆみ)と天之加久矢(あまのかくや)で射殺してしまいます。キジをつらぬいた矢は高天原まで届き、不審に思った神が投げ返すと、矢は天若日子(あめのわかひこ)の胸に突き刺さりました。
『古事記』上つ巻 「天若日子の派遣」より
3.兄が放った、反抗の鳴鏑
宇陀にたどりついた神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)は、その地方を治める兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)の兄弟に、「自分に仕える気持ちはあるか」と八咫烏(やあたがらす・天皇を先導したとされる大きな鳥)を使わして問いただしました。従うつもりのない、兄宇迦斯(えうかし)は、鳴鏑(なりかぶら・鏑矢)を射て、八咫烏を追い返してしまいます。この後、兄弟は敵味方となり、運命の道を分つことになるのです。
『古事記』中つ巻 「東征」より
4.丹塗矢に変身した大物主神
美和山(三輪山)の大物主神(おおものぬしのかみ)は、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)を見初めました。大物主神(おおものぬしのかみ)は、比売が厠に入ったとき、丹塗矢(にぬりや・朱で赤く塗った矢)に姿を変えて厠の溝に入り込み、比売を突きました。驚いた比売がその矢を持ち帰り、床のそばに置くと、矢は端正な男性になり、やがて二人は結ばれました。こうして生まれたのが神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)の后、比売多々良伊須気余理比売(ひめたたらいすきよりひめ)だと記されています。
『古事記』中つ巻 「皇后の選定」より
5.勝者が使った矢の由来
男浅津間若子宿禰命(おあさつまわくごのすくねのみこと・允恭天皇)が亡くなった後、皇太子の木梨之軽太子(きなしのかるのおおみこ)が皇位を継ぐことになっていました。ところが、木梨之軽太子(きなしのかるのおおみこ)は同母妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)と密通したことから孤立し、臣下の心は弟の穴穂御子(あなほのみこ)に向いてしまいました。互いに戦いに備えて武器を作り始めますが、軽太子(かるのおおみこ)が作った箭(や・矢)は鉄ではなく軽い銅にしたので軽箭(かるや)といい、穴穂御子(あなほのみこ)のものは穴穂箭(あなほや)と呼ばれました。戦いに勝った穴穂御子(あなほのみこ)が使った穴穂箭(あなほや)が、今も使われているといいます。
『古事記』下つ巻 「軽太子と衣通王」より