ドラマ日本書紀Ⅱ 事始のものがたり 第2話 ~時計のはじまり~
わたしは、人呼んで事始(ことはじめ)の博士。ここ奈良は日本の始まりの地といわれておるが、実にさまざまな物事がここで始まったのじゃ。さあ、これから、物事の始まりについて、ひとつずつ語って進ぜよう。
今回は時計じゃ。
時計とは時を刻み、時を知らせるもの。暦と同様に、同じ国に暮らす人々は同じ時の刻み、すなわち時刻を正確に知る必要があるのう。中国でも、皇帝は暦と時をつかさどるといわれているそうじゃ。
わが国最初の時計は「漏刻(ろうこく)」と呼ばれる水時計じゃった。『日本書紀』の斉明天皇6年(西暦660年)5月には、皇太子であった中大兄皇子が「初めて漏剋を造り、民に時を知らしむ」と書かれてある。遣唐使によって中国から伝えられた知識をもとに漏刻を作ったのじゃ。
その後、天智天皇10年(西暦671年)4月25日には「漏剋を新台(あたらしき うてな)に置き、始めて候時(とき)を打つ」とある。ここでは、漏刻を新しい台に備え付け、鐘や鼓を打ち鳴らして、人々に時を知らせたと書かれてあるのじゃ。
つまり、天智天皇が皇太子の時代につくった漏刻という水時計が、じつに11年という長い歳月をかけ、遷都した近江宮でようやく実用化されたということじゃろう。
この漏刻というのは水時計といったが、実に面白い仕組みなんじゃよ。サイフォン方式ともいわれるんじゃが、複数の壷を経ることで、水が一定の速度で最後の壺にたまっていく原理を利用しておる。水をためる壺には、漏箭(ろうせん)という目盛り付きの矢が挿してあって、それを読めば、いまが何時なのかがわかるのじゃ。日本では、この「漏刻」が平安時代の終わりごろまで使われるのじゃ。
この日本初の時計である「漏刻」が本格的に運用されはじめた天智天皇10年の4月25日は、太陽暦に直すと6月10日になる。このことから6月10日が「時の記念日」に定められたというのもなかなかおもしろいことじゃのう。
※人名地名の読み方は『新編 日本古典文学全集』(小学館)を参考にしています。
水落遺跡
基壇上面に24個の柱穴、基壇中央からは台石が出土。さらに、基壇の内部には水が流れていた痕跡がある銅管や木樋も見つかり、斉明朝に中大兄皇子が漏刻を造ったときに設置された施設の跡だと考えられている。現在は基壇や復原された台石を見ることができる。北に位置する石神遺跡とこの遺跡とが地下の水路でつながっている点も興味深い。
住所/ 高市郡明日香村大字飛鳥225の2
交通/ 近鉄「橿原神宮前」駅より奈良交通明日香周遊バス「飛鳥」下車すぐ
近江神宮
天智天皇を祭神に、昭和15年に創建された。境内には天智天皇が日本初の時計を作ったことから「時計館宝物館」があり、庭では復元された漏刻を見ることができる。この漏刻は昭和39年オメガ社総代理店のシイベルヘグナー社により奉納された。また、毎年「時の記念日」の6月10日に漏刻祭が執り行われる。
住所/ 滋賀県大津市神宮町1番1号
交通/ JR湖西線「大津京」駅より徒歩約20分
URL/ http://oumijingu.org/