初夏の一日。田んぼの向こうに見えているのは、法起寺三重塔です。706年頃完成したとされ、日本で最も古い三重塔。国宝で世界遺産にも登録されていますが、カメラマンにとっては、いつ行っても鄙びた風情にどこかほっとさせられる場所です。やさしい風が吹き渡るこんな日、まだ頼りない早苗がゆれる水田に映る塔の姿は、いつもにも増して優しく、温かく感じられました。
飛鳥時代から伝わる日本の土壁。厩戸皇子の発願によって創建された法隆寺は世界最古の木造建築で百済の職人達によって建てられたといわれています。当時とほとんど変わらない技法で、天然素材を用いて作られている土塀。この土塀は、とあるお宅のもの。庭からでしょうか、木の根っこが壁まで侵食している様子。必死で根を伸ばそうとするこの植木と、目くじらもたてず、そのままにしているご主人。何だかほほえましくなる風景です。
斑鳩の里は、古の面影が残る大和路でも人気の場所。近隣の三塔(法隆寺・法輪寺・法起寺)を徒歩で巡ることもできます。 写真は、法起寺を望むススキの群生地からの撮影。逆光の夕日を受け、ススキの穂が美しく映え、野焼きの煙と相まって、琥珀色に染まる晩秋の夕暮れです。 当サイトのTOPページで流れている記紀・万葉ゆかりのイメージ写真も澤氏撮影
『日本書紀』には、聖徳太子が斑鳩宮を造営し、住み始めたことと、この宮で亡くなったことが記されている。太子は、斑鳩宮から、当時の都があった飛鳥の小墾田宮まで愛馬の黒駒で通っていたといわれ、いまもそのルートは「太子道」として残っている。 当時の斑鳩は、飛鳥からは離れているものの、龍田越の道で海の玄関口であった難波と結ばれた地であり、物資輸送の道であった大和川にも面していた。蘇我氏の支配下にあった飛鳥の地からあえて離れた斑鳩の地を、聖徳太子は新しい拠点にしようとしたと考えられている。 現在では、聖徳太子が建立したとされる法隆寺、聖徳太子が母・穴穂部間人皇后のために建てた中宮寺、太子の子・山背大兄皇子が太子の遺言によって、岡本宮を寺に変えた法起寺などがあり、奈良県内でも屈指の観光地で、平成5年には、『法隆寺地域の仏教建造物』が日本で初めて世界文化遺産に登録された。