宇陀には『古事記』『日本書紀』『万葉集』それぞれにゆかりの地がいくつもあり、伝承や地名にその名残がある。例えば、初代天皇である神武天皇は吉野を経て宇陀(菟田)に入り、エウカシとオトウカシという豪族に会い、反抗するエウカシを倒した。また仁徳天皇の時代、天皇から求婚された女鳥王(めどりのみこ)が、天皇の使者の速総別王(はやぶさわけのみこ)と恋に落ち、謀反をけしかけるような歌をよんだため、追われることになった。そのとき宇陀から伊勢へと逃げようとしたが、宇陀の蘇邇(現在の曽爾村)で追いつかれ、討たれてしまった。また、壬申の乱の際には、天武天皇の一行は、吉野宮から、宇陀(菟田吾城(うだのあき)・甘羅村(かんらのむら)・菟田郡家(うだのこおりのみやけ))を通り、伊賀、伊勢を経て美濃に入り東国を抑えた。乱から8年後の天武9年(680年)、天武天皇が菟田吾城(うだのあき)に行幸をしていることからも、重要な地であったことが伝わってくる。