當麻へは数え切れないほど撮影に行っています。そのたびに、悲劇の皇子・大津皇子が眠る山、二上山を中心に、その怨念を慰めるかのように、まち全体が何ともいいがたい荘厳でやさしい雰囲気、西方浄土のおもむきを湛えていると感じながら、シャッターをきります。
二上山は古代西方浄土の山であるとともに、五木寛之著『風の王国』の風ふきすさぶようなイメージも持っています。最盛期の牡丹の花に極限まで近づき、「雄しべたちがヒソヒソ話しをしているのか、めしべをめぐりケンカでもしているのか?」などと撮りながら想像が膨らみました。
二上山は奈良県のあらゆるところから望むことができ、太陽の道の落日の山。カメラマンにとっては古都奈良の夕景のシンボルともいうべき山です。この作品は、三日月と宵の明星をアクセントに、残照も美しいトワイライトタイムにシャッターを切りました。 当サイトのTOPページで流れている記紀・万葉ゆかりのイメージ写真も澤氏撮影
大津皇子が謀反を起こしたとして死を賜った後に、葬られたという二上山。雄岳(517m)と雌岳(474m)の二峰から成る山。 『日本書紀』では、大津皇子を「立ち居振る舞いは高く際立っており、言辞は優れて明晰である。」と記した。 一説には、持統天皇が自分の息子である草壁皇子への皇位継承を確固たるものにしたいがための冤罪であったともいわれる。その大津皇子の姉で、伊勢の斎宮であった大来皇女は、弟の罪により、その任を解かれた。伊勢から大和に戻るときに弟を偲んで詠んだ歌が『万葉集』に収められている。