⑩大津宮
父・舒明(じょめい)天皇、母・皇極(こうぎょく)(斉明・さいめい)天皇との間に生まれた天智(てんじ)天皇(626-671)は、称制(しょうせい)(即位せずに政務をつかさどった期間)6年(667)、東アジア情勢の不安定さに対処するために都を近江大津宮(おおつのみや)(滋賀県大津市)に遷しました。
『日本書紀』に「東宮(とうぐう)」「皇太子」あるいは「大皇弟」(書紀のルビは「ひつぎのみこ」「もうけのきみ」)と称された弟の大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)は、天智天皇を補佐し、兄弟による皇位継承がなされるなら、天皇の位につく予定者でした。しかし、天智天皇は父子継承を目指し、大友皇子(おおとものみこ)に皇位を継承させる強い意向のもとで、天智天皇10年(671)に大友皇子を太政大臣とし、事実上の後継者としました。大海人皇子に好意をもっていた蘇我臣安摩侶(そがのおみやすまろ)の示唆もあり、大海人皇子は自ら皇位につく可能性はないと判断し、大津宮から吉野宮に身を移します。奈良時代の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』には、大友皇子が23歳で皇太子となったと記されています。
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