⑨瀬田川
壬申の乱の終局の段階で、大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)方は、朝廷のある近江に進軍しました。安河(やすかわ・現在の野洲川)の畔で近江朝廷軍を大破し、栗太(くるもと・現在の滋賀県栗東市辺り)でも追討。さらに、大海人皇子の家臣・村国男依(むらくにのおより)たちは、瀬田(滋賀県大津市。唐橋で有名)に至りました。
近江朝廷軍は、大友皇子(おおとものみこ)と群臣らが瀬田川の橋の西に大きな陣営を構えました。双方の激突ではありますが、近江朝廷軍は、もはや本営である朝廷の近くまで攻められている状況です。近江朝廷軍は、橋を切断して仮の板を置き、そこを渡ろうとする者があれば、板を引いて川に落とそうとする戦術に出ました。だが、大海人皇子方の勇者は、そこを渡って敵陣に突入したため、大友皇子と大臣らはかろうじて逃げました。もはや大海人皇子軍の攻撃に抗することができず、大友皇子は自ら首をくくったと日本書記に記されています。
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