⑥高安城(高安城跡・たかやすのきあと)
大海人皇子軍側の将軍である大伴連吹負(おおとものむらじふけい)が飛鳥から乃楽(なら・奈良)に向かう途中で稗田(ひえだ・大和郡山市稗田)に至ったとき、「河内から多くの軍勢がやってくる」という情報が入りました。そのため、吹負は河内方面へ別動隊を派遣しましたが、近江朝廷軍が高安城(たかやすのき)(奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市の境)にいるとの情報が入り、河内方面への部隊の一部が高安山に攻め登りました。
近江朝廷軍は大海人皇子側の武将坂本臣財(さかもとのおみたから)らが攻めてくるのを察知して、税倉(ちからくら)を焼き払い、逃げ去りました。夜明けに坂本臣財らは高安山から眺めると、近江朝廷軍が大津道(長尾街道)・丹比(たじひ)道(竹内街道)をこちらに向かって進軍して来るのを目撃しました。そこで山を下り、衛我河(えがのかわ・石川)を渡り、近江朝廷軍の将軍壱伎史韓国(いきのふびとからくに)と川の西で戦いました。しかし、坂本臣財の軍は近江朝廷軍の軍勢を防ぐことができず、退却を余儀なくされました。
後日、援軍を得た吹負は当麻の衡(たぎまのちまた(葛城市當麻(たいま))に至り、壱伎史韓国の軍と戦って近江朝廷軍を敗走させました。
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