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⑤飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)(飛鳥宮跡)

壬申の乱に勝利した大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)は、嶋宮(しまのみや)から岡本宮(おかもとのみや)に移ったと『日本書紀』にありますが、この岡本宮は、母・斉明(さいめい)天皇の後飛鳥岡本宮(のちのあすかおかものとのみや)のことだと思われます。『日本書紀』には、さらに続けて、岡本宮の南に宮室(天皇の宮殿)を造ったとあります。また、この宮の名前は、後の朱鳥(あかみとり)元年(686)に飛鳥浄御原宮と名付けられたことも『日本書紀』に記されています。飛鳥浄御原宮は、天武天皇の病気の治癒を願っての命名であるという説があります。 『日本書紀』によると、天武天皇2年(673)2月、壇場(たかみくら)(高御座)を設けて即位し、鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)(後の持統天皇)を皇后としたとあります。また持統天皇の即位の儀式もここでなされたと思われます。
その後、持統天皇8年(694)藤原京に遷都されましたが、今日の石敷きされた「飛鳥宮跡」は、飛鳥浄御原宮の遺構を復元したものであり、その下層に後飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、飛鳥岡本宮の遺構が重層的にあると推定されています。

飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)(飛鳥宮跡)

インフォメーション・交通アクセス

飛鳥宮跡
【住所】奈良県高市郡明日香村岡
【TEL】一般社団法人飛鳥観光協会 0744-54-3240
【交通】近鉄橿原神宮前駅又は飛鳥駅より明日香周遊バス「岡天理教前」下車徒歩約5分