③天武天皇迹太川御遥拝所跡
『日本書紀』天武天皇元年(672)6月条に、大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)が東国へ向かうときに、伊勢国朝明郡(あさけぐん)(三重県三重郡の一部)の迹太川(とおがわ)の辺りで天照大神(あまてらすおおみかみ)を望拝したとあります。
壬申の乱の後、『日本書紀』天武天皇9年(680)3月の条には、天武天皇は菟田の吾城に行幸したとあります。『万葉集』に「阿騎の大野」「阿騎の野」とあり、「宇陀の大野」とも詠まれました。
壬申の乱で活躍し、その後の持統(じとう)朝で太政大臣を務めた高市皇子(たけちのみこ)が薨去され、殯宮(もがりのみや)(天皇などの貴人の喪葬儀礼の期間、柩を仮安置した建物)にあるとき、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が挽歌で、「……度会(わたらひ)の斎宮(いつきのみや)ゆ神風にい吹き惑はし……」(万葉集巻2-199)と、伊勢神宮(度会の斎宮)から神風をふかせて、敵(近江朝廷軍)を惑わしたと詠んでいます。
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