②菟田(うだ)の吾城(あき)
壬申の乱の後、『日本書紀』天武天皇9年(680)3月の条には、天武天皇は菟田の吾城に行幸したとあります。『万葉集』に「阿騎の大野」「阿騎の野」とあり、「宇陀の大野」とも詠まれました。
吾城は、現在の宇陀市大宇陀(おおうだ)の迫間(はざま)・中庄(なかのしょう)・拾生(ひろう)・本郷(ほんごう)辺りに比定され、迫間には式内社阿紀(しきないしゃあき)神社があります。本郷の東南、拾生の中之庄遺跡からは、7世紀代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)や苑池遺構(えんちいこう)(庭園遺跡)が検出されていますが、天皇・皇子たちが薬猟(くすりがり)(5月5日に鹿の若角や薬草を摘んだ日本古代の習俗)に訪れたときの離宮的施設ともみられ、阿騎野・人麻呂(あきの・ひとまろ)公園として整備されています。
大海人皇子の一行は、伊賀、伊勢へと進路をとり、美濃に向かいまいした。
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