①吉野宮(宮滝遺跡)
吉野は、古代には常世(仙人たちの住む神仙郷)とみなされてきました。『古事記』、『日本書紀』には雄略天皇(在位は5世紀後半)が吉野宮に狩りに数度出掛けたことが記されており、656年に斉明天皇が吉野宮を造ったとあります。 宮滝遺跡は吉野宮の有力な候補地で、発掘調査も何度か行われています。
皇位継承が期待できなくなった大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)は、兄である天智天皇のいる大津宮を退去して、出家して吉野宮に入りましたが、約1ケ月半後、天智天皇崩御の知らせが届きます。その約半年後、天智天皇の子の大友皇子を討つために、大海人皇子は東国に向けて吉野宮を後にしました。
壬申の乱に勝利した後、天武天皇は、皇后(後の持統天皇)と皇子たちを吉野宮に集め、互いに助け合っていくことを誓わせました。
天武天皇の後を継いで即位した持統天皇は、在位中、譲位してからも含めて34回も吉野に行幸しています。その目的は、国家が事なく、安定していくことを祈るためであったと思われます。その後、文武、元正、聖武天皇が吉野宮に行幸しています。
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